文章のうまさ

nolimbre
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公開:2026/2/27

学術的内容を伝える文章の場合はいったん別とするが、文章のうまさのひとつに長い1文をすらすらと読ませられること、むしろ長さそのものが表現のひとつであるかのように書けることがあると思っており、最近にわかにそういった長くてうまい文への憧れが芽生えてしまいわざと長い文を書いてみたりしているのだがいかんせん自分はそもそも文章があまり上手でないのでただ単に読みにくい文ができる結果に終わってしまうことしばしば、やはり短い文で簡潔に書けというのは僕のような者でも読みやすい文を書けるようないわば素人向けだがそれを踏まえて書けば大怪我はしにくいという種類のアドバイスなのだ、たとえば俳句に季重なりを禁じるルールはないが入門者が季重なりをやると失敗しがちだしそもそも季語への注意が不足していて意図的ではなくうっかり季重なりをやってしまいがちだからと忠告するようなものなのだと改めて理解した次第である。いやここで文を切るんかい、長い1文を書くことに関するこの文章全体を1文で書くという仕掛けじゃないのかよと思ったかもしれないし実は僕もこれを書き始めたときはそれができたら面白いなと多少は思っていたのだが僕はあくまで長くて読ませる文を書きたいのであって何も文の構成を歪ませて長い文を書きたいわけではなく、冒頭の文であればやろうと思えば文の最後のあたりで電話が来たことにしてその内容に入るということもできたわけだがそれは美学に反すると思ったのだ。なお学術的文章の場合はいったん別とすると言ったが、僕が専門とする純粋数学の場合で言えば数学的内容を伝える場合に長い文を敢えて書くべき理由は特にないと思う。むしろ数学的主張や議論についてはおおむね表現のフォーマットがあると言ってよいのでそういったものを活用して読者が内容に集中できるようにするのがよいのだが、数学的内容でも気持ちの面を伝えたり筆者の主観を表明したりする部分については文章の上手い人が見事な長い1文を書くということはありうるだろう。ただしその場合でも読者には簡潔で短い文を好ましく思う人が多いように思うがどうだろうか、調査したことはないが肌感覚としてはかなりの確からしさでそうだろうと思う。かくして僕が長い1文を書くのが仮にうまくなったとしても仕事に活かされることはなさそうであるし、むしろ、先ほどの言葉で表現するところの初心者向けの指針ということにはなるが普通に短い文で伝えたいことを簡潔に伝えるという技術を磨くほうがよさそうだと改めて思った 2 月末である。