何者にもなれない人生

のん
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なんのために生まれて、何をして生きるのか

小さい頃、仮面ライダー、特撮モノを見ていて正義は必ず勝つということを知った。でも、思春期になる手前くらいから現実世界では正義が必ず勝つのではなく。強いものが勝ち、勝ったものが正義になるという残酷な事実を知る。

この事実を知った時、生きることにかなりショックを受けた。

たとえ 胸の傷がいたんでも

絶望した理由は、高校生までの人生は強さの定義が生まれ持った才能で決まるモノだということが分かってしまったから。

  • 小学生→運動神経

  • 中学生→運動神経、見た目

  • 高校生→身長、見た目

当てはまらない地域もあるかもしれないが、自分の生まれた環境ではこれらが強さの定義だった。生まれ持った才能で強さが決まり、正義さえ変わってしまう現実世界が心底嫌になり、ここからインターネットに入り浸ることになる。

かつてのインターネットは、顔も名前も知らない相手とやり取りすることが前提になっていたため、コミュニケーション能力を磨くことさえできれば誰でも仲良くなれて現実世界の競争から逃げられて楽しかったが、それも長くは続かなかった。インターネットには学校の先生から忠告されたように。「個人が特定できる情報は一切公開しない」という暗黙のルールが利用者全体にあったが、普及が進むにつれて、そんなインターネットのタブーを破り個人情報の公開をする人が増えていくことになる。

話は変わるが、ぱにょという歌い手を知っていますか?ぱにょはとても人気な歌い手でしたが、未成年淫行によって逮捕されてしまい、引退した方です。ぱにょが逮捕され、ニュースになった当時の反響は、未成年淫行という犯罪に対する嫌悪よりも、イケメンアイコンでイケボなのでイケメンだと思っていたのに夢が壊れた。という趣旨の批評が多数でした。

この事件が起きた当時、関わっていた人達の中に、既にその流れに乗ってオフ会で会ったり、オフパコもしている人たちも居たが、そのほとんどが公になっていなかったので。ぱにょがイケメンだったらこんなに叩かれていないし、女性も警察に相談しなかっただろうな、と思ったのを覚えている。

この時、誰とでも仲良くできると思っていたインターネットも実際には「声と見た目」という強さが定義されていて、誰かともっと仲良くなるには現実世界での強さが必要と気づいてしまい、2回目の絶望をする。

愛と、勇気だけが友達さ

小さい頃に見たアンパンマン、特撮モノに影響を受けてヒーローに憧れていました。誰にでも優しく、悪を挫くヒーローに。そして正しいことを追求していけばヒーローになれると思っていた。

ただ、ふと自分を見返してみると社会的弱者がそこにいる。実家は貧乏で、強者のように生まれ持った才能も何一つなく、見た目も悪く、ただただ個人能力の平均値が低い存在。これでは、ヒーローどころか脇役にすらなれない。ヒーローを諦めて、誰かと仲良くするくらいと思い、インターネットの世界に逃げ込んだ訳だが、どんな場所に逃げたところで、その場所に定義された強さを持たない弱者のことは誰も相手にしてくれないことを知る。どこの場所に居ても強者になれない自分は、なんのために生きているんだろう。他者と関わり、他者に認められ、他者を慈しむ。そんなこともできないのか、と全てに絶望し、しばらくの期間なにもしない人生を送ることになった。

絶望の中にある希望

私は現在、東京23区に家を借りて年齢帯の平均年収以上の収入を得て自立している。会社では役職につき、後輩もいて上司にも気に入られ、所属しているコミュニティにおいては強者になった。悲惨な状態からなぜそうなれたのか。最初のきっかけは絶望していた中でも、インターネットで自分と仲良くしてくれた少人数の友人を頼ったことにある。絶望した後、本気で死にたくなったのですが、死ぬより怖いことは無いので、死ぬ勇気があるならなんでもできるはずだと、好意的に関わってくれた友達の家に居候させてもらい。友達に相談乗ってもらいながらアルバイトをはじめて、社会人経験ができたことから人生が回りだした。そこからは、正社員面接や転職活動を本気で頑張り続けた結果、今の状況になった。

世の中には悪い人が多いため、誰でも彼でも頼れば良い訳では無いが、現実世界、インターネット問わず、少なくとも自分の価値が低い時でもよくしてくれる人がいるのであれば「損得勘定抜きで仲良くしてくれる人なので」人生を良い方へ変えるキッカケを与えてくれる可能性が高い。人間関係においては、様々なコミュニティに関わると必ず特別なにもしていないのに好意的に思ってくれる人が現れる。その人が詐欺師という可能性もあるが、金銭や犯罪に関わるような提案を受けない限りはそのケースはほとんど無い。だからこそ、多少のお節介でも受け入れてみよう。この時に忘れてはいけないのは「多くのものを求めない」こと。人は欲深い生き物なので、何かになろうとする。夢を叶えようとか、ヒーローになろうとして、「不要なこだわり」や「プライド」を持っていた。これにより、頭を下げるのが恥ずかしくて、チャンスをいくつも逃した。今は、どんなことでも相手が自分のためにしてくれようとしたことなら、プライドを捨てて一度、受け入れるようにしている。こだわりやプライドを捨てたことで。何者になれなくても、自分の理想にさえ近づければそれで良いと思えるようになったので、他者と比べることが無くなった。

今はなにもできなくても、今後ずっとできない訳ではないので、なりたい自分になれるように前向きに行動した結果、人生は改善されたが。どんな人でも共通していることとして、人生は行動でしか変化が起きないので、待っているだけではなく自分からもアクションを起こすことが何よりも大事。

これだけで、なにかになりたくても、何者にもなれなかった自分のことを認めることができるようになり、他者と関わり、他者に認められ、他者を慈しむことができるようになった。

何者にもなれない人生でも良い

何者にもなれなくても良い、誰かが自分のことを評価してくれて、認めてくれることを大切にし、自分のことを大切にしてくれる人を遠慮なく頼って生きていけば、その先にはなりたい自分が待っている。

何者にもなる必要は無い、なりたい自分にさえなれれば。