ある対象が憎かったら関わるもの全部が憎くなることを
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、って言うけど
袈裟を見たら坊主思い出すから憎くなるの、割と当たり前じゃない?
ことわざが生まれた時代背景からすると、
僧侶は体制側と繋がっていて、檀家のためじゃなくて、悪どいことばっかりしてたらしくて、
そういう類の恨みであるなら、僧侶の道具全般が許せなくなることも自然な気がする
袈裟単体で見る機会があるのかはあまりわからないけどさ
というか、そもそも「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のうちに勝手に皮肉なニュアンスを汲み取ってたけど
実は、憎んでる人のことを揶揄してるんじゃなくて、
坊主が憎い時は、袈裟まで憎くなるもんだよね、わかるわかる、的なことわざなのかもしれん
どっちにせよ、昔から、人の気持ちの動きというのは変わらないものであるなぁ
<今日の短歌>
雪の音 星座の名前 夜の匂い
君がいないと 思い出す冬