立て続けに森博嗣さんの本を4冊読み漁った。
ふらっと入った本屋で表紙のデザインに惹かれてパラパラと立ち読みした時に、は!なんか通じあう感じがする!と予感して購入したのが森博嗣さんのエッセイ。誰だこの人と思ったけれど、「すべてがFになる」の原作者だった。本もドラマも観たよ。(綾野剛が好きだったから)
理系研究者で某国立大学教員だった方と通じあうなんておこがましいけれども。なんとなく思考の向きが近くて、たとえば悲観しがちなところとか。わたしは自分の悲観する思考癖をネガティブに捉えていた。どうして未来を明るく捉えられないんだろう。夢ややる気を持てないんだろう。と。森博嗣さんも悲観的な思考の持ち主だそうだが、それはとても良いことなのだと繰り返し言っている。いろんなパターン(特に悪くなる方を重点的に)を想定して前もって準備しておくことは、自分を助けてくれる。悪いパターンになるのが当然と思っているから、さほど動揺もせず対応ができる。悪いパターンにならなきゃラッキー。でも悲観的になるのは事実に対してだけでよいと。つまり理性的な悲観。似ているようで違うのは、感情的に悲観するのは悪いことというか世間的に忌み嫌われるから非推奨、とおっしゃっていた。わたしは両方やってしまう。事実も悲観するし、感情的にも悲観してしまう。きっともうだめなんだ…明るい未来なんてこないんだ…としばしば思ってしまうが、ここには感情が大いに紛れ込んでいる。「じゃあどうする?」まで考えが至っておらずまさに思考停止状態。感情的になると思考停止になるね。感情は置いといて、事実や状況を悲観する。「うまくいかなそうだなあ。そのときはこうするか」と頭を使うこと。そう思うと、悲観は少しでもいい状態を保つ努力とも言えないか。生きる執着と言ったら大げさかもしれないけれど。悲観って前向きじゃん。前に進む力だ。楽観は一見前に進んでそうだけど否、前を向いているだけの状態なのかも。思考がとまらない。珍しい夜。
最近、感情って過剰に溢れさせないことが穏やかに過ごすポイントかなると思っている。感情との付き合い方。