2024/2/21
昨日は季節外れの高気温でじんわりと暖かく、けれど小雨が足元を濡らし、気持ちの晴れない天気だった。
新たな仕事、新たな現場、見知ったメンバーと初対面の演者たち。切磋琢磨し、経験を活かし、良いものを作る。プロとしての責任と、宝物を追う夢のため。
口馴染みのないラーメン、変わらない笑顔、声、優しい事務所仲間、レッスン室の大きな鏡に映る自分たち、声、声。
──あぁ、コイツらの声、こんなに大人びたんだな。
現実を、知る日が来た。
・無料パート
THE 虎牙道に新しい仕事。ホストクラブを舞台にした恋愛ドラマだとか。設定は主人公を含めた4人のホストが、事情を隠してホストクラブに在籍した新人ホストと少しずつ仲を深めていくというもの。ヒロインこと彼──彼女は、双子の兄の治療費と両親の借金を返済する為、性別を偽りホストの道を目指すことになったらしい。ホステスではダメなのか?まあ男相手じゃ気分も上がらないか?
昨今のホストの闇みたいな場面はなく──虎牙道の面々が「姫さ、今日一撃100万いける?」「ありがと。姫のお陰で俺楽しいよ」みたいなLINK飛ばしてる世界線は地獄すぎて見てみたいが──終始王道で熱さもある作品だ。タケル演じる二面性のあるタツミ、道流演じる自信家かつ尊大なミツル、漣演じる女慣れしていて軟派なレイジは所謂ライバルポジションで、恐らく各話でそれぞれがヒロインとの距離を縮めていき、最終的には主人公に座を譲り3人が攻め入った他店ホストを倒すという展開のようだ。ホストって他店に乗り込むものなのか?龍が如くの世界観。
恋愛シーンに不慣れは3人は克服のため、持ち回りでヒロインになり互いに演技レッスンをすることになるが、結果は惨敗。誰も幸せになれない結果を産んでしまう──この時点で秋月涼が追加ゲストにいる理由がわかった。絶対涼が「僕なら大丈夫です!いい作品にするお手伝いをさせてください」て言ってくれると思ったしワンチャンヒロインやってくれる涼まで見られるかもと期待した。さすがになかった。ずっとタケルと涼の絡みを待望してたので嬉しかった。ありがとね。
(この先あらすじは言わず本題に入るよ)
・有料(プレミアム会員限定)パート
私は、タケルは自己肯定感が低いタイプだと考察している。
ここでいう自己肯定感とは「私は私であり、そこに在り、生きている。どんな人とでも楽しくコミュニケーションを取れる面が長所であり、一転して他者の意見に流されやすい短所がある。そんな自分を驕りも卑下もなく愛している」という状態を指すと定義する。
この状態を作るためには、無条件の愛を長い期間受け入れ続けられる環境がいる。それは例えば親からの「生まれてきてくれてありがとう」であり、「何があってもあなたの味方よ」である。
全肯定と混同しやすいが、つまるところ「あなたが人を傷つけるのも法を犯すのも正しいこと。だってあなたは正しいから。だから私はあなたを愛しています」が全肯定であり、
「あなたの頭が悪くても、コミュニケーションが下手でも、人にやさしくするのが苦手でも、法を犯しても、私はあなたを愛しています。だからきちんと責任をとって、罪を償ってね。何があっても私はあなたの味方だから」が無条件の愛となる。
タケルはいつまで無条件の愛を受け入れて、いつから条件付きの愛を飲み込んできたのだろう。
小さい頃に両親を亡くしたことを、彼は悲しかったと言った。それは彼が両親を愛していたことの表れで、きっと両親はその愛に負けない愛をタケルたちに注いでいたのだろう。
小さな体で両親の遺影を見上げる彼と、その両手を握る弟妹は、参列者の目にどう映ったのだろう。
養護施設に引き取られたタケルは、自分を庇護対象と思わなかっただろう。幼さに唇を噛み、早く自立したいと思うことがあったかもしれない。彼はいつから、子供である自分を受け入れ難く感じていたんだろう。彼の両手には常に幼い──自分と幾許も歳の変わらない──弟妹がいた。であれば彼は親から受け取った愛を、沢山、沢山弟妹に伝え、そして弟妹たちも同様に、目いっぱいの愛を返していたのだろう。
その愛の形が、未成熟な人間の伝える愛が無条件であったかどうかは知る由もないが。
「タケルくんは2人のことが大好きで、良いお兄ちゃんだね」
「いつも2人の面倒を見てあげて、タケルくんは頼りになるよ」
「タケルくんはさすがだね。お兄ちゃんらしく頑張っててスゴいよ」
「2人ともいい子だね。優しいお兄ちゃんを持てて幸せだね」
これらは残念ながら無条件の愛ではない。これを発した人間の善意悪意に関わらず、評価が含まれているからだ。
兄として、弟妹を大事に思うことは当然だ。
兄として、弟妹の面倒を見ることは義務だ。
兄として、弟妹を守ることが存在意義だ。
兄として、優しさは良い兄の最低条件だ。
──だから、兄である俺は弟妹のことが大事だし、面倒を見るし、守るし、優しく接することができる。
模範的な兄というレッテルを貼られ、彼は都度それに応えてきた。褒められたいという自己承認欲求もあっただろうが(健全な精神であれば必ず芽生えるものである)、大枠は親を亡くした故に「自分が親代わりにならなければ」という責任感からだろう。
‘模範的な兄’が、タケルが最初に他者から与えられたアイデンティティなのかもしれない。
彼はいつしか『大河タケル』ではなく、『大河トワ、ミアの兄』になっていたのだ。
『大河トワ、ミアの兄』が徐々に『大河タケル』になっていったのは、恐らく彼がボクシングを始めてからだ。
大河タケルとしてプロボクサーになり、戦績をあげていき、ファンを獲得していく。彼に届く声は大河タケルの強さを讃えるものであり、彼の兄としての一面を指さない。
彼が『大河タケル』になるために、これは必要な時間だったと胸を張って言える。実の弟が彼の過去を呪ったとしても、私は彼が『大河タケル』としてプロボクサーに、そしてアイドルになってくれて本当によかったと思っている。
けれど外野がどれだけ兄であることに依存しなくていいと思っていても、彼は兄であることに誇りを持っていて、弟妹が一番大事だという価値基準は簡単には揺らがない。2曲目のソロ“Resolution”で自身の価値に気づいた節を歌い上げたタケルだが、だからといって弟妹を二の次にできたわけではない。或いは自己評価が低かったタケルが、ようやく人並みに自分を評価できるようになったのはつい最近のことなのかもしれない。
トワとミアは、タケルと離れ資産家に引き取られることを決断した時、なんと声を掛けられたのだろう。
これは宮城県のHPだが、基本的にどの都道府県でもこういった児童の医療費は公費で負担しているようだ。であれば、タケルの医療費は国や県の税金で支払われるのではないだろうか?
何か裏事情があったとして、幼い2人にそれが伝わることはないだろう。こんな話ならどうだろうか?
「お兄ちゃんの怪我が治るまで、前に話した人のお家に行くのはどうかな」
「怪我が治ったらきっとお兄ちゃんと一緒に迎えに行くから、それまで待っててね」
いつまで経っても現れない兄に不安を抱いていた2人は次第に周囲に不信感を募らせ、自身の戸籍が資産家のものになっていることを知る。
資産家の経済状況と兄の現状を知った2人は、もしや兄の自立支援費のために自分たちがこの家に売られたのではないかと考えてしまう。そんな訳ない、きっと大人が勝手にやったことだ。そうだ、兄ならいつか自分たちを迎えに来てくれる。自分たちを大事に思い、面倒を見て、守り、優しくしてくれた自慢の兄なら自分たちの元へ必ず戻ってきてくれる。だって自分たちも兄のことが大好きなのだから。
そうして過ごしたある日、彼らは見つけるのだ。勝利を収め、その拳をレフェリーに掲げられる兄の姿を。
両脇に仲間を2人携え、堂々と、高らかに、楽しげにパフォーマンスをする、兄だった男の姿を。
裏切られた──と感じるのも無理はないだろう。その場所は自分たちの居場所だったのに、と道流や漣を穿った目で見てしまうこともあったかもしれない。
何よりあれだけの事故に遭った彼が、何不自由なく腕を振り上げ、足を踏み鳴らす。
自分たちの手を取りに来てくれる腕。自分たちに会いに来てくれる足。今すぐじゃなくてもいい。大人になって、自立して、そうして会いに来てくれたらどれだけいいだろう。
「お前たちのおかげで、兄ちゃんはここまで来れた。待たせてごめんな。今度はお前たちが幸せになる番だ。」
そう言ってくれたら、こんな人生も肯定できたかもしれないのに。
こんなに近くにいるのに。彼はまだ、自分たちに会いに来ない。
楽しそうで、よかったね。
道流はタケルの弟妹の調査書を見て彼らの経緯を知りつつも、タケルの傍に立った。常に中立かつ公平であろうとする彼が、それでもとタケル側に感情移入していることが、彼らの時間の濃さを感じさせる。
漣は『探していた人に「お前は自分には無関係な奴だ」と言われた』側の人間で、そこだけを見ればタケルに対しザマァねぇな!と思っても仕方ないところを、あえてタケル側に寄り、トワに苛立ちを見せた。
それだけ彼らは見てしまったのだ。タケルが弟妹を探し出し、3人で幸福を掴みとるため、そして自身のアイデンティティを取り戻すために、つまづき、振り返り、立ち止まりそうになりながらも駆け抜け、笑い、怒り、過去を想いながら、今は進むしかないと走り出す表情を、背中を、息遣いを、タケルの生き様を、もう長いこと隣で見てしまったのだ。
トワはミアを想って怒りを露わにし、道流と漣はタケルを想って怒りを滲ませる。そこに違いはないのだ。どちらが悪いという話ではないことを、冷静に見極めなければいけない。
かなしい。かなしいよ。なんでこんな事になっちまったんだろうなってタケルの言葉が、重くて苦しくて堪らない。理不尽だ。また、また事故だ。道流の未来を奪ったのも、漣の人生を決定づけたのも、全部事故。誰かが悪い訳じゃない。だからこそ、彼らは何も悪くない。きっとトワとミアも、悪くない。
(ストラグルハートで入院しているタケルが描写されていたということは、この過去はもうかなり前から決まっていたのだろう。そう、そうだったんだね。)
(ここで「双子の兄の医療費と親の借金のたにホストになるヒロイン」と「兄の治療費のために資産家の養子になった弟妹」の対比が効いてくる。ヒロインは飛び込んだ世界で自分の苦悩を理解し戦ってくれる仲間を手にしたが、弟妹は閉じ込められた檻の中で互いの手を握り世界を呪うしかなかった)
タケルは弟妹を見つけるという目的以外のところにアイドルとしての生き方を見出した。これは彼の人生の努力が実った結果であり、彼のしてきたことが無駄ではないことを表している。
(スチルの漣は常に外を向いているが、タケルが「俺のやってきたことは全部無意味だったんじゃないか」と言った時は鋭い視線をタケルに向けながら口を噤み、「だけど無意味じゃないって思えた」と言った時は優しさとも違う、ただ素直な肯定の視線を送っていた。彼はよくタケルを‘見て’くれると思う)
だからタケルはもしかしたら、『弟妹を傷つけたくない』という思いから接触を避けるかもしれないし、『それでも誤解は解きたい』とその機会を探るようになるかもしれない。
その時、「タケルが傷つくのなら会わせたくない」と言った道流の言葉は半分正解で、半分身勝手だ。それは本人もきっと気づいているだろう。結局、本人がどうしたいか。どう生きるかなのだから。
だからタケルが勇気を出して「アイツらに会いたい。しっかり話をしたい」というなら、その為の場を作る責任は果たしたいし、何があっても味方だよと伝えたい。
これは愛なのか分からない。私のワガママなのかもしれない。けれど、彼にとって飲み下して血肉とすることがプラスになるようなものを渡せたらと思う。
目が合ったら、いつだって笑みを返して。
タケル。私はあなたを愛しています。
努力家なところも、真面目なところも、不器用なところも、大好きだけど、
努力できないくらい落ち込んでしまっても、真面目にレッスンに打ち込めなくなっても、器用になりたいと自分を変えようとしても、私はタケルの味方で、ずっとずっと愛しています。
だから悔しくて、悲しくて、自分を傷つけてしまいそうな時があったら、私に止めさせてください。
生まれてきてくれて、ありがとう。