最近読んだものに結構嫌なやつが出てくるので、ちょっと考えてた。
ちなみにスタンスとしては、嫌なやつ肯定派です。なぜなら嫌なやつは「一視点では嫌なやつ」であると同時に「一視点では良いやつ」かもしれないからです。
私も多分そういう面があるので、嫌なやつだからといって否定できないし、創作における嫌なやつって大体成敗されるか改心するので、アクセントになっていいかなって思う。これは話を作る側の視点かもしれない。
「嫌なやつ」じゃなくて「嫌なやつを登場させないと話を作れない作者」にムカつくって話なら、許してやってよ……という作る側の気持ちと共に、まあ必要ならその手法を取ってもいいんじゃないのって思う。全部これってなると厳しいけど……
絶対いらないところで恋愛要素出される方が個人的にはシラケる(こういうので感動するんでしょ?みたいに捉えてしまう)
これがいいんだろ?という姿勢には「ちょっと待った!それって詐欺かも(おかやま)」になってしまうから、個人的にはイラつくやろこれの方が「ホントにな(イライラ)」となり素直に乗せられて楽しめてる感じするから好きかも
ただしヒーロー活劇の為のレ○プシーン、テメーはダメだ シンプルおもんない ガチしょーもない せめて作中一回にしろ 川○礫に言ってる(名前出すなって)
ただ私が個人的に、悪く言われてる人がどうして悪く言われてるのか知るために深入りしてその内同情してしまうタイプなので、創作においても感想でやな奴ヤ!!!!てのいっぱい見ると「本当にそうでしょうか?」と思って人間性とか事情の推測し始めちゃう。
逆張り精神かもしれない。友達やめないで。
虎牙道CODにおける嫌なやつの役回りって多分彼だと思うんだけど、個人的には推察できる事情が多すぎて一概にやめてよ!とはならなかったかな……
やっぱり理由があるからね。どんな人間にも。