『プリシラ』を観た。近年まれに見るグロ映画だった。
観てる最中、新堂エルの『変身』を読んだときと全く同じ感慨(主に吐き気だが)を抱いた。言ってしまえばどちらも「「「普遍的」」」な女性の人生の話ということなのだろうと思う。似たような話は探せばたくさんあるだろう。実在する有名人を描いた映画がこんな吐き気を催すお話であり、それが「普遍的」で「たくさんある」お話だということは極めて最悪だが。
(※追記:グロ映画とか吐き気とか言ってますが、これ、褒めてます!)
私はプリシラやエルヴィスについてよく知らないし、思い入れも特にないから、これが実話を元にしたフィクションだろうと伝記だろうと全くの作り話だろうと関係なくストーリーを受け取ることができたけれど、彼女らについてよく知るファンや好事家、あるいはただのゴシップ好きたちにとってのこの映画はもっと複雑な印象を持つものなのだろうと思う。
当事者たちに対する思い入れは無いが、音楽好きとして「その時代」への思い入れは人並み以上にはある私にとっては、劇中では単なるクソ野郎でしかないエルヴィスが傾倒していくさまざまな文化に対しては「あ!」と反応せずにはおれなかった。ビートルズ嫌いみたいな素振りしといてジョン・レノンと大してやってること変わらない彼の姿は、クソ笑えるという意味でチャーミングではあった。
しかしなんといってもプリシラの衣装とその変遷! これはもう、このためにこの映画を観たと言っても過言ではない。
短躯だが華奢ではないプリシラのシルエットは、たしかにお人形さんのようなワンピースの似合うものではある。しかしワンピースとは「筒」である。エルヴィスのマチズモを満たす形状としてこれ以上のものは無かっただろう。ベッドの上に投げ出されるプリシラのドレスの上に、エルヴィスから贈られたピストル(当然これも「筒」である)が置かれる画は、その美学的な美しさに反したグロテスクさに満ちていた。
——脱線するが、「美学的な美しさに反したグロテスクさ」はこの映画に通底するものでもあった。劇中に幾度となく挿入されるプレスリーの楽曲は、そのロマンティシズムや軽妙さが上滑りするように、プリシラに起こる悲劇の予感を漲らせ続けていた。その予感はエンディング曲のドリー・パートン"I Will Always Love You"が流れる最中でも消えることは無かった(エルヴィスがこの曲をコピーしようとしたが、パートンがそれを断ったというエピソードがあるらしい)。
エルヴィスの着せ替え人形にされる中でプリシラは年齢を重ね、時代を超え、あらゆる人生経験を経て、70年代の彼女はパンツルックと厚底ブーツを手に入れ、ぺったんこなストレートヘアで空手を学んでいた。後に言及するが、60年代~70年代は第二波フェミニズムと「ウーマン・リブ」の台頭した時代である。
ソフィア・コッポラの映画をたくさん観ているわけでは無いのでこれは印象論に過ぎないが、彼女の映画の最大の美点は、あらゆる文化を決して過度に美化しない所にあると思う。
映画の最終盤に登場するエルヴィス・プレスリーのアイコニックな歌唱シーンは予告編でも見ることができるが、実際の映画では、最大限の皮肉を込めたとしか思えない間抜けなカットとして登場する(前後のシーンとの連関において、往年のエルヴィスガチファンはどのような気持ちであれを観たのだろうか?)。音楽をやってたり広告の仕事をしているような「カルチャーに精通した日本人」のガチのダサさを解像度高く描いた『ロスト・イン・トランスレーション』でのソフィアの誠実さは、現在に至っても顕在だったように思える。
ちなみに、同じ日に『オーメン:ザ・ファースト』も観たのだが、グロテスクさという意味では『プリシラ』と同等だった。いや、『プリシラ』の方が目をそむけたくなる画は多かったか。
『オーメン:ザ・ファースト』の舞台も70年代初頭、カウンターカルチャーやヒッピーの文化が宗教的地盤を揺るがしたことが大きく物語に影響していく。「ウーマン・リブ」と共に知られる第二波フェミニズムの台頭もそのころ。ジャンルは違えど、女として生きることのグロテスクなまでの苦しみについて描いたこの二作が、2024年現在に70年代初頭という同じ時代を描いたことは重要だろう。
『オーメン:ザ・ファースト』では、カトリック強化を破門された元神父が、悪魔の子を孕んだ主人公に中絶手術を受けさせようと車を走らせるシーンが描かれる。結果的に中絶は叶わなかったし、かなり緊迫した痛々しいシーンだったが、複雑な批評性に満ちた一幕だったと思う。70年代初頭といえばまだアメリカでは中絶が違法とされていて、民間での中絶を支援する女性団体「ジェーンズ」が活動していた時期だ。カトリック教会のお膝元であるローマにおいて、悪魔の子を堕胎するために、元神父が中絶手術の手配をしようとしているのだ、70年代に! 正直本作への個人的な評価はそこまで高くないが、ホラーにおける女性表象として、本作は「誠実」あるいは「ちゃんと興味深い」と言えるラインをしっかりクリアしている。
どちらも衣装デザインの素晴らしい映画だったが、エンドロールを観ているとオーメンの方がコスチューム関連のスタッフが多くてちょっと驚いた。(単にバジェットの差かもしれない)
ところで私はオーメンシリーズを一作も観たことがない。それでも楽しめたのは、それなりに良い映画だったということだろうか。途中寝ちゃったけど。
カウンターカルチャーなどの反動的な60~70's文化が保守的な宗教の権力基盤を揺るがした→じゃあ人々が信仰を必要とするような新たな「恐怖」を人造的に作って宗教権力維持しようぜ!という敵組織の設定が面白かった(マジ最悪で)。オーメンシリーズ知らないので、これが新作から出てきた設定なのか元々あるのかは知らないけど。