嘆きの底に沈む者の話

Nothing
·

「悲哀」というものに一種の興奮を覚えることがある。胸の中に空いてしまった空洞を必死に埋めようとする姿や、その空洞を埋める術を知らずただ嘆くことしか出来ない姿が美しい、と思う。眼球から分泌される涙という名の生理的液体がその働きとは別に衝動によって溢れ出てしまい、その落ちた先に水たまりを作り、それは湖となり、やがて川となり、海となっていく。果てしない感情であり、すこし目を離したら攫われてしまいそうなほど脆く、儚く、可愛らしいものである、と思っている。

 自分が作ったキャラクターについて話す、というのは何もこれが初めてではないのは過去の投稿を見ていただければ一目瞭然だということが分かるだろう。それも全員人ではない生命体について述べている(魔法学生たちについては述べているというよりは設定資料みたいなもんなのでノーカン)。これは私自身気が付かなかったことで、これを書くにあたって読み返したとき、私は一人の人間を深く紐解いていくことも好きだが、どちらかというと、人間ではないものの解像度を上げることの方が好きなのかもしれない、と思った。今更すぎる。

 マクスウェル、という子がいる。顔立ちが女の子のような少年の姿をした人ではない何者か。その名前を付けたのは私の内的隣人である彼であり、メタ的に言うのであればまあ全部私が名付けた。マクスウェルという存在もまた、虚空から毛が生えた程度の存在の一人である。酷な言い方をしているかもしれないが、「存在していない者」をこれから「存在していない」ことを前提に「存在している者」として語るのだから、この言い方は必要なものとして処理してほしい。

 彼を作ったときのことはよく覚えていないのだが、「幼体」でありつつ「成体」の存在であることは今も昔も変わらないように思う。いや、彼からしても私からしても「幼体」ではあるし、本人もその点を自覚しているのだけれど、周囲から見たらその見た目から放たれる人ではない視点からの言葉は「大人びている」あるいは「子どもらしくない」と捉えるだろう。だから人間からしてみれば「成体」なのだ。人間から見ればその言動はあまりにそう見えるのだ。人間からしてみれば、マクスウェルもその他の人外も「成体」に見えるのだろう。

 その名を付けた彼は自身もそういった類の名前を付けているが、その名前は真名ではない。アイツはずるいのだ。彼があの子にマクスウェル、と名付けたのはあの子が「情報を主食とするが、その情報は記憶から徐々に質の悪いものから消されていく」からであり、その記憶を消すエネルギーは本人の寿命から生成されているのである。分かりやすく言うと、結局最後に残るのはあの子にとって質のいい情報であり、人間のことなんかは綺麗さっぱり忘れていき、その忘却のエネルギーは本人の寿命を削ることによって作られている、ってワケ。びっくりの燃費の悪さである。まあでも本人の寿命も人間単位からしたらとんでもなく長いため、別に私たちが生きている段階では何も心配いらない。物語の中では知らないけれど。

 後に水銀を操る能力を有した半不老不死の青年と出会い、なんだかんだ一緒にいるのは削られる寿命というエネルギーの消費を抑えることができるのが彼であったから、なのかもしれない。ちなみに水銀は飲むと死にます。始皇帝は死にました。古来中国の不老不死思想というのは水銀ではなく、辰砂を加熱するときの循環を永遠性と比喩したことに由来するそう。青年の話は別の機会になるのでこの辺で。

 話が逸れたので戻る。つまりマクスウェルという生命体は、割と儚い生命体なのである。まあ見た目も儚そうだし別に驚く話でもない。

 ただ本人は死ぬことに関しても生きることに関してもさほど執着していないのが事実であり、他人の寿命を貰うことはできる(人間のお願いごとを叶える代償)ので、むしろどうして人間がそんなにも怯えるのかがよく分かっていない。生きることも死ぬことも決定しているのに、そこに恐怖を感じる意味がわからないのである。だから人が人を失って悼む気持ちも分からなければ、涙を流す理由も分からない。そういった人間の感情は分からないし、聞くところによるとこれが悲しむ、らしい。だから「悲しまないで」という言葉通りの言葉を投げることしかできない。そんなことはこのご時世AIにだってできることで、あの子が「幼体」であるのはそういった部分である。

 だからといって感情がないわけではない。あの子自身は気がついていないだけで。傍から見ればどんな人外よりも人間的であり、名付け親の彼でさえ「人間的ですね」なんて言うのだから、きっといつかはその感情に縋るのだろう。本物の「成体」になったとき、空いた心の空洞に涙するのは間違いなくあの子自身である、と思う。ちなみに「成体」になる条件は情報に飢えること(=飢餓)だ。得るものがなければエネルギーを消費することもない(=つまり寿命を削ることもない)ので、限りなく名付け親やその周囲の人外に近づけるのである。

 が、このマクスウェルという人外には一つのやらかしが存在する。海には驚異が存在する。繁殖を目的とした脅威だ。そんな存在と目が合った者は“遭遇者”になり、まあだいたい本来の目の色をしていない。マクスウェルの目の色は本来黄色く瞳孔が細いものであるが、その色ではない納戸色のような色をしているのはそのためである。ちなみにマクスウェルはこの影響により体内に流れているものは血液ではなく海水になっている。いつか書いた文章で海水を飲む場面があの子にはあるが、飲料ではなく体内循環に必要な液体を経口摂取しているということになる。また、時間が経過するにつれ身体の内部が腐食するという状態でもある(最初に腐食するのは脊髄である、と本人は分かっている) 。触手がドロッと溶けることがあるのはそれが原因であったりする。あの子は自分のいた星にはいない恐ろしい生命体に当てられ、純粋な状態ではないのである。こんな状態で「成体」になったら文字通り化け物に成り果てる。海の脅威側からしたら心強いことこの上ないだろう。悲しいものである。

 マクスウェルという存在は自分の考えた人外の中でもギリギリを踏みとどまっている余裕のない人外である。彼が自分の感情に気がついたとき、情報に飢えたとき、身体が腐り落ちたとき、自分の帰る場所が生まれた場所でも居住した場所でもない、海であると本能で悟ってしまったとき、彼はどうなるのだろう。どんな姿になったとしても、「悲しまないで」と言うのだろうか。

 あの子が生きたまま帰る海は、もしかしたら自分の流した涙によって作られた海なのかもしれない。死ぬわけではないのだから、アケローン川は渡れない。溶けた触手を伸ばしても、誰もその手を取ろうと思わないかもしれない。なんとも物悲しい生き物である。

 ただ、それだけの話。

@nothing
不定形でひとりぼっちな惑星、五億光年先の不条理に怒れるアナタ