車輪の話

Nothing
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 私が彼を作ったのには様々な意味があるが、最も大事なのは「いつの時代でも、どこへでも行ける人」であることだ。だから越境バスという、地域や国の境に関係なく走らせることの出来るバスの車掌として動いている。

 名前をラワンセウ。ジャワ語で「千の窓」あるいは「千の扉」という意味を持つ。実在の建物も存在しているが、あれとは全く関係がない。鉄道じゃなくてバスだし。彼は「いつの時代でも、どこへでも行ける人」であるから、扉や窓を抜けてどこへでも行けるからそう名前を付けている。というかそもそもそれも彼が自称しているだけかもしれない。その辺は私としても定かではないことで、彼が奇想天外に指と指の隙間によって作られた窓から象が飛び出してきたりすることもあるかもしれない。

 彼は正義のヒーローではない。同時にヴィランでもない。誰に手を貸すのでもなく、ただ情報収集をして、より有益な情報が得られるのであれば取引をしたり、行き場のない客をバスに乗せたり、逃げ惑っている人に居合わせたり、呼び出されたりしたから助けたり。そんな善人でもなければ悪人でもない、誰の味方というわけでもない怪物である。怪物というのは、化け物とも怪獣とも違う。伝承の生物とも違い、それは誰かの念や己の強い念によって形を為した一種の生命体なのだ。本来存在しえなかったものが形を為し、存在している。彼もその一人で、どこかではるか昔に何かを願った人ではない何かなのかもしれない。

 ではあの喋る孔雀はどうだろうか。王宮から逃げ出したジジイ口調の雄の孔雀は華やかな見た目の割に図太く、図々しく、飄々としていて、かつよく口が回る。多分叫ぶし、惨めな声も上げるし、情けない声も出す。バラエティに富んだ性格はさながらその羽の光の加減によって見える色の多さのようで、目眩がするような鳥だ。彼もどこかで願ったのだろうか。願うとしたらどんなことだろう。「自由になりたい」とか? そんな綺麗なことじゃなさそう。もっと俗で、もっと私たちに近い願いのような気がする。だからあんなに人間臭くて、流暢に話すのだろうから。

 消えたいと願った存在がいた。それは本当に消えた。それは青年であったが、人は怪物にならない、となぜ言えるのだろう。人は誰しも心の中に無意識に怪物を飼っている。それは欲という名で私たちの中に存在している。形はなく、存在していないのに、確かに存在しているのだ。青年は死んだ。消えたのだ。だが消えたいという欲は消えなかった。それは形を為し、今は誰かの拠り所を走らせている。

 越境バスを作ったのは物語を進展させることに必要だった。それだけと言いたかったけれど、今思うと、どこかに行きたかったから作ったのかもしれない。乗り物は不思議だ。特に公共交通機関というのは。私の事情なんて関係なく目的地へと私を運ぶ。運ばれている。

 私たちはきっと運ばれているのだ。彼らの世界に、彼らによって。ただそれだけの話。

@nothing
不定形でひとりぼっちな惑星、五億光年先の不条理に怒れるアナタ