よく「人外」と言われる。別にそれを悪く思ったことはないが、冗談交じりに失敬な、と言うことはよくある。人間付き合いにおいて、気を悪くしないように細心の注意を払って言うジョークというのは、案外ウケることを知っている。ちなみに私自身は不謹慎な笑い(ブラックジョーク)が大好きな人間のため、創作においてそういったものは手を付けやすい。
努力も分からなければ、人間の感情にも些か疑問を覚え、なおかつ発言する内容が友人曰く「人外」らしい。私としては冗談というわけでもなく、普通に話をしているだけだと思っているのだが、どうやらそもそもその言葉が「人外」っぽいらしく、私はここ数年首を傾げている。
そもそもの話「人外」とはなんなのか。人ではないもの、つまり人間という括りに当てはまらないものを総じてそう言うのだろう。外星から来る宇宙人や、未確認生物……、あるいは神話上の生命体など、その種類は様々だが、そんな『ムー』に載っているものばかりが「人外」というわけでもないように思う。だからといって具体的に他を尋ねられると考え込んでしまう。「人外」と人は簡単に言うが、その括りは人間という括りよりも遥かに大きく、人の思考の数だけ「人外」と呼ばれるものは存在するのだと思っている。
ふと思ったのは幽霊って「人外」なの? ということだ。超常の存在として見るのであれば確かに「人外」なのだろうが、しかし元は人間である、と思うとどうもその括りからは多少ズレるような気がする。妖怪というのは「人外」であると思うが、幽霊を妖怪として見るのであればそれは「人外」なのだろうか。難しい、と個人的に思っている。
以前、柳田國男の『遠野物語』を読んだとき、死んだ人間が生き返って帰ってくる、という話を読んだ。それは京極夏彦と阿部海太によって『しびと』という絵本になったのだが、私はこのしびとという存在が幽霊よりも恐ろしくてならなかったことを未だに覚えている。つい最近『遠野物語』を買って(図書館で読んでいたため)読み返したのだが、しびとの項を一目散に探して読むほど未だに根付く鮮烈な印象であった。
絵本の文章曰く(つまり京極夏彦曰く)、「こんなものは、もう幽霊なんかじゃない」そうだ。
私は元々オカルト畑の人間である。小さい頃から本で、あるいはインターネットで怖い話や都市伝説を見ては、もう薄れてしまった恐怖心を持って、風呂に入るのも怖かった。後にSFにハマり、段々と今の方向に捻れに捻れていったのだが、私の土台はやっぱりオカルトとSFである、と今でも思う。
「人外」という言葉はありふれた言葉になってしまった。私の作ったキャラクターにもそういった存在は数多いけれど、本物の「人外」を作れることは死ぬまでないだろう、と思う。アブダクションされたこともなければ、火星に行ったこともない、エリア51に入ったこともなければ、NASAに行ったこともなく、幽霊を見たこともなければ、口裂け女相手にポマードを唱えたこともない。……花子さんらしき者とコミュニケーションは取ったことあるけれど。けれど、そういった経験のない私は、「人外」を想像の中でしか作れず、私の想像力を搾りに搾っても、人外だね、で多分終わる。
人の考える「人外」って、何なのだろう。「人外」への解像度が高い、って何なのだろう。
人はなんで私のことを「人外」と呼ぶのだろう?
まあ、そういった未知の存在に近しいらしい、と言われて嬉しくなることはあるんだけれどね。
ただ、それだけの話。