自分という存在をあからさまに語ることが全てではない、といつも思う。自分の人生の大事な局面でなにか自分のことを話すときに、一体自分がどんな人間であるのかとか、自分の強みがどういった点であるかとか、在り来りなテンプレートに沿って、完璧に練られた言葉をこれでもかと気持ちを入れて話す。それが人の全てではない、と思う。そんなの当たり前かもしれないけれど。
昔からアニメや漫画やゲームが好きで、その後小説や映画にハマって、今こうしてそれら全てを「文化吸収」とひっくるめて呼んで、自分の好きなものを好きなだけ語り、好きな点もそうでない点も含めて一つの作品として「好きだ」と言えるように模索している。劇的な何かを求めている。愛していたい、ってずっと思っている。それがどういった形なのか、どうしたらそうなれるかは分からないけれど、ただ一言「好き」という言葉で全てを包むのではなく、その言葉に含まれる全てを明確に可視化したくて、言葉にしたくて。それは無粋なことなのかもしれなくとも、そうせずにはいられなくて、形容できる言葉を日々手探りで探している。
多分、人はそれを「探求」というのだと思う。だからそれが好きだと言う。人間って、難しくて、分かんなくて、理解できないことも多いけれど、面白くて、嫌いなんだけど目が離せない。ぼんやりそんなことを思う。ただそれだけの話。