C103でいちのやさん(@1_rito)で頒布されていた「私はこうやって音声作品をつくっています」という同人誌。
結構興味深かったので、電子書籍版がDLsiteで発売されるとの話を聞いて、iPadとかに便利だとついでに購入してみたら少し驚いた。
単ページ版と見開き版……?
これは多分DLsite Playなどを含む視聴環境で読みやすくするためだと思われるが、普通に電子書籍を販売する観点だと非常に割に合わない。それだけ意図通りに見せたい、と言う苦心なのかも知れない。
この、一見無駄にも見える熱量に同人らしさを強く感じた。
狂気的な熱量の例。ここ数年で一番嬉しかった。
同人の辞書的、辞典的意味ではないが、自分が同人らしさを感じる部分は「酔狂さ」。割に合わない、割に合うかもわからない件を熱量で推して参る。その割合が高いものに同人らしさを強く感じる。
何せ、それは大抵の人が算盤が合わないと言う。だから同志で、というか最近だとほぼ一人でやる。
私は専門外なので正しいか分からないがイノベーター理論、イノベーターとアーリーアダプターの違いにで喩えて見ると、この意味での同人はキャズムを超えない。キャズムの解釈がとても幅広いけれども。
なので、同人市場という概念の中で、上記の例で言うところのキャズムを超えること前提の考え方や、同人を商業のファームとして扱う部分に若干違和感を感じる。そこには「割に合わない」を割に合うように解決しようと熱の成分に制約をつける行いがちょこちょこと見受けられる。
そして、同人市場がこの「普通の人は超えない」壁を普通の人に晒すことに苦心しながら、半ば諦めてるの部分があるのも少し違和感を感じる。市場では顧客と呼ばれる、ジャンルだけでは隔てることが難しいそれをしっかりフィルタリングする、同人の世界が長年培ってきた奇妙なルールの数々。
熱の放ち手と受け手、その熱を周りに撒き散らさず、求めてる間柄だけでやり取りするのはもう難しいのだろうか。
そんなことを思いながら、様々な方々が酔狂さを発言する、こんな同人らしさが自分は好きなんだなと自覚した今回の出来事だった。