東京生活と昔の話

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 東京に暮らし始めて一か月と少しが経った。

 九州に生まれて京都の大学に進学し、就職で東京へやって来たので、順調に北上していると言えるだろう。死ぬ頃には北海道か、一周回って沖縄にいるかもしれない。

 東京で就職しようという意欲は全くなかったのだが、就活で関西の会社を受けては落ちまくっていた頃に半ば自棄になって東京の会社を受けたらあっさり通ってしまったので勢いのまま上京を決めた。(京都も東京も京と付くので上京と呼んでいいのか微妙である。)暮らす場所にはこだわりのないつもりだった割に、いざやって来てみると山のない景色が落ち着かないし、友人もほとんどいないしでなかなか心細い。学生時代に学んでいたこととは全く関係のない職に就いたからか、自分というものが薄まってどこにもなくなるような気がして何とも言えない危機感があって、それを取り戻すみたいに本を読んでいる。

 それはさておき、地元と東京の遥かな距離を思うとき、中学生の頃のある記憶が蘇る。

 当時の私はとにかくこんなクソ田舎さっさと出て行って二度と戻るまいとばかり考えてそれをモチベーションに勉強に励んでいたのだが、一方でその願望を口にしたら周囲からそれを阻まれてしまうに違いないと思ってもいたので、地元から出て行きたいと家族に伝えたことはなかった。(実際その頃は国公立の大学、それも九州圏内でないと許さないと父に何度も言われていた。)

 ある記憶というのは、そんな風に心を閉ざして過ごしていた中学三年生のころ、母の運転する車に私が乗って二人で家へ帰っていたときのことだ。雨が降って薄暗い日だったことを今でもはっきりと覚えている。車中で母とぽつぽつと会話を交わすうちに、話題はふと私の進路のことに及んだ。と言っても私は上記の通り周囲の大人をことごとく警戒していたので、母の投げかけてくる質問にも適当な生返事を返すだけだったように思う。

 そんな会話とも言えない会話が印象に残っているのは、ハンドルを握る母が不意に「あなたはどこか遠くへ行っちゃう気がするなあ」と呟いたからだ。今まで一度も遠くへ行きたいなんて言ったつもりはなかったのに、一体いつの間に見抜かれていたのかと、どきりとしたのをはっきりと覚えている。それに、隠していたはずの欲を言い当てられた恐ろしさを感じながら、私はたぶん嬉しくもあったのだと思う。誰にも打ち明けたことのない心情を母が察してくれていたことが、それを責める響きもなくさりげなく告げてくれたことが、大人への警戒心でガチガチになっていた私の心を軽くしてくれたのである。

 そうして今、私は母の予感通りずいぶん遠くへ来てしまった。もともと私は実家(および地元)を離れたかったのであってさほど遠くへ行こうという気もなかったのだが、流れのままに生きた結果がこうなるのは不思議なものである。東京に来たいと思ったことがないので、ここでやりたいことや行ってみたい場所がまだあまりない。少なくともこの会社で働く限りは東京にいることになるだろうから、ここで根を張る腹を決めて、自分なりに充実した生活を営みたいものである。

東京でやりたいことメモ:みはしのあんみつを食べたい、神保町の古本屋を漁ってみたい

@noyama
野菜ラーメンの野菜だけ食べたい日もある