2025/12/01

nozakimugai
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公開:2025/12/1

何度かに分けて書く。

11:49

Apple StoreでMacBookを注文しようとしたらカード決済のエラーで弾かれた。ダメもとでもう一度同じ内容のまま注文したら今度は通った。僕に見えないところで何かが起こっている。

体力と気力の限界を感じて、今日は無理やり代休を取った。溜まっていたタスクを金曜になんとか終わらせ、諌められるのを承知で上司に休みの許可を取った。さっき恐る恐る社用携帯を開いたら、案の定金曜にやった作業へのコメントが来ていた。胸がざわつく。携帯を閉じて歯磨きとシャワー。前歯に茶渋がついていることに気が付いた。抜けた髪もびっくりするほど長い。

何事もじわじわと線形に進行していくけれど、その流れが目に見えるようになるためには一定の基準、閾がある。閾を超えた時に初めてそれが確かに起きているのだと気付くことができる。いつの間にか散らかっている部屋、カードの引き落とし、歯についた色素、伸びた髪、就業管理のエラー、……。

2日続けてスタジオでもある友人の家へ行く。最寄りから彼の家までは1時間半から2時間の時間がかかる。運良く直通の便に乗れれば1時間強で着くことができるが、それを一本逃して次の便に乗ると到着時間は1時間近く遅れる。そうなるともうどれだけ急いでも無意味で、最寄りで時間を潰してから次の直通電車を待つのが一番効率がいい。どれだけ焦ろうと、たくさん乗り換えをして細かく時間を短縮しようと、その焦りや努力は閾を超えない。

スピードとはある閾からつぎの閾へ移動するのにかかった時間のことで、その間の出来事やルートは案外誰も見ていない。そこに何かの自由がある、ような気がする。閾下を生きる。閾のあいだを生きる。

21:06

スタジオでの作業と遊びを終え、また1時間半かけて最寄りまで帰ってきた。機材を背負って色んな店の前を行ったり来たりした末、最近できた居酒屋に入った。とんたくご飯とあら汁を頼み、出来上がりを待ちながら日記を書いている。隣の席に常連と思しき四人グループがいる。一人は小学校高学年くらいの子供だ。

スタジオでは友人とAlbemのライブで使う同期音源の準備をした。思ったよりもスムーズに進んですぐに終わった。散歩がてら近くの寺に行って、コンビニで買った肉まんを食べた。寺の境内は平坦で静かだった。あの照明がいいよな、と友人が遠くの街灯を指差して言っていた。

散歩からスタジオに戻って、二人で別な作業をすることにした。使い古したノートPCは最近はもうガタガタで、音楽制作用のソフトが数回に一回しか起動しない。今回は珍しく一発で起動したけど、素材のダウンロードにやたら時間がかかり、作業が始まらない。まあ、もうやるべきことは終えたし、と言って、スタジオのスピーカーで好きな音楽を流して聴いた。どこにも辿り着かない、閾下の時間だった。今までも聴いていたはずなのに聴こえていなかった音がいくつもあることに気付いた。

コンビニの前で友人と別れ、駅まで歩いて電車に乗った。一度電車を乗り換え、しばらくは乗りっぱなしなのでイヤホンをつけてさっきも流した音楽を聴いた。やっぱりいい曲だった。

2週間前に少し悲しい出来事があって、それからずっと気分が晴れない。バンドのリハや友人との会話を通して元気になってきたと思っていたけど、まだ自分がずっと苦しんでいるということが分かった。

21:35

とんたくご飯とあら汁を食べ終えた。

とんたくご飯は、細かく刻んだ豚バラを甘辛く炒め、たくあんと一緒に白米に混ぜ込んだものだった。出汁の入った器を一緒に持ってきてくれて、自分で出汁茶漬けにすることもできる。あら汁は大きな魚の骨がいっぱい入っていて、ほぐれた身も残っている。大きめのお椀にたっぷり盛り付けられて出てきて、なんか救われるような気持ちになる。

食べ終えて、体の中に少し温かさが戻ってきたように感じる。ハリーポッターの3巻のディメンターのシーンを思い出す。ディメンターに吸い取られた幸福感や温かさがが、チョコレートを食べることで戻ってくる。

22:15

ざわつきは消えない。が、明日も生きていくしかない。

@nozakimugai
Albemというバンドでラブい曲を作ってます。音楽論、身体論、批評も書く。