あまり文章にしようとせずに、ひたすら起こった出来事を淡々と書いていこう。
どこから始めるか。
この週末の話。昨日の朝目が覚めたとき、やるべきことをやらずに寝落ちしてしまっていたことに気がついた。パソコンはつけっぱなしで、汚れた服が乗ったベッドの上で障害物をよけるように変な姿勢で寝てしまっていた。最近部屋が散らかっている。
起きていちど二度寝した後、また2時間後くらいに起きてバンドのリハのための作業を始める。PCの調子が悪く、時間もギリギリで苛立ちが募り、何度か変な声を出す。前の日も仕事が全然終わらず、一人ごとを言いながら21時近くまでリモートワークをしていた。劇伴の締切も遅れている。何も間に合っていない。
なんとか作業を終えてシャワーと歯磨きを済ませて家を出た。恵比寿のスタジオ。いつもはJRで行くがいい時間の電車がなく、地下鉄で行った。地下鉄の出口が変なところにあって、駅から2、3分で行けるはずのスタジオノアまで15分もかかった。サポートメンバーのYさんが大変だったね、と言ってくれて救われる。
ドラムのなるさんが仕事で来れなくなり、サポートメンバー(ドラマーではなくダブミックスやキーボードの担当)がうろ覚えのドラムを叩き、それに合わせるというやり方になった。いい具合にみんな気が抜けていて、シンバルを変な高さにして遊んだりしつつ、音作りやアレンジの方向を詰めていった。
リハが終わると二人は帰り、僕は残った二人のメンバーと軽く食事を取ることになった。サイゼリヤが混んでいたのでモスバーガーをテイクアウトし、スタジオの待合室で食べる。いい人間だった人がよくなくなっていってしまうことについて話した。
家に帰ってSwitch2でサイバーパンク2077をやる。キャラクターが男性か女性しか選べないのが微妙。SFは未来を描こうとしつつも中身はノスタルジーであることが多いな、と思ったり。当たり前かもしれない。「古き良き」暴力や性の表象をみなどこかに欲しがっていて、その置き場所は未来だったり歴史だったり異世界だったりする、みたいな。
いつの間にかめちゃくちゃ夜になっていた。料理をする元気がないのでUberを頼む。タイ料理の店に目を引かれる。Uber eatsに出ている店は実店舗を持たないバーチャルな店が多い、と最近どこかで聞いた。このタイ料理屋はどうなのだろう。
予定していた友人たちとの通話に遅れて入る。これも間に合っていない。すぐに両親が帰宅したり、Uberが届いたりする。さっきまでの静かな時間が嘘のように、色々なことがいっぺんに起こる。
そういえば文通相手からの手紙が返ってきていない。もう3ヶ月になる。僕が手紙を出して終わっている。向こうもそう思っているかもしれない。
トムヤムラーメンと空芯菜炒めを食べながら両親の旅行の感想を聞いた。京都は紅葉のピークで激混みらしい。有名な景観スポットの寺に行くと言ったら現地の知人に止められたという。かわりにその知人が車を出して別なお寺に連れて行ってくれた。そこは知る人ぞ知るフォトスポットで、板張りの床に反射する紅葉の写真を撮りに写真家やフォトマニアがこぞって訪れるという。
トムヤムラーメンより空芯菜炒めの方が辛かった。食べるたびに辛さに咽せかえる。ゲホゲホいい、水を飲み、また少し食べ、むせる。母はその斜め向かいで旅の様子を話し続ける。刻んだ唐辛子の赤と、写真の中の紅葉の赤が韻を踏んでいる。どちらも喉に引っかかる感じがある。
一通り両親と話し終え、電話に戻る。会話が妙なスピード感をもって進む。一人が寝て、残った三人で話す。自己開示や、社会と向き合う方法や、物事を捉える仕方について。友人をケアする方法について。
この前の日記に「『相手』とは非同期な存在だ」と書いた。「友人」はリモートな存在だと感じる。そうでなければならない訳ではないはずだけど、いつからかそうなってしまった気がする。役所や病院に本人に代わって相談できるのは原則家族のみで、友人は間接的なサポートしかできない。どれだけ時間をかけて友愛を築いていっても、結局恋愛や結婚や血縁がその全てを持ち去って行ってしまうような気がして、自分が馬鹿みたいに思えてくることがある。
書きたいことがあるが、書かない方がいいような気もする。書くとしたら、改めて書いた方がいいかもしれない。別に後から書き直してはいけないというルールもないし。