生産性や効率の話

のざわ
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生産性や効率を上げようとすればするほど、

  • 一人ひとりができることが増えていって他人に助けてもらえなくても大丈夫な状況が増える

  • 生産性や効率を上げるために、話し合う時間や雑談する時間、一緒になにかに取り組む時間が減る

という状態になる。

この状態が進むと一人になってしまう(しまえる)。

昔は今ほど便利な道具は少なく、めんどくさいことが多かっただろう。

それゆえ一人で解決できないことも多かっただろう。

一人で解決できないから、お隣さんとか地域単位で助け合い、そこに繋がりが生まれたり絆が生まれたりしていたのだと思う。

昔はテレビは高価で、テレビを持っている家に集まってみんなでテレビを見ていた みたいな話もきいたことがある。

八百屋さんに買い物に行ってちょっとした世間話をする なんてことも昔はあったのだろうが、今はそんなことも少なくなったと思う。

生産性や効率を上げるために、職務やスキルは標準化され、無駄を徹底的に省き、一人ひとりが自分の能力を高め、職務を果たす。

生産性や効率を上げた先にあるのが、一人で生きていけるようになる世界だとしたらそれは寂しいと思った。

そしてその生産性や効率を上げるための動きを最前線で引っ張っているのはIT業界だと思う。

本来電話であれ、チャットであれ、写真であれ、テレビ電話であれ、ITの中心には人間がいて、離れた人ともコミュニケーションを取って、安心させたり、一緒に楽しんだり、喜んだりするためのものだったはずなのに、

いつの間にかその逆の動きを加速させている気がしてならない。

逆というか、そもそも人間通しのつながりを少なく、薄くしても生きていけるような手助けをしているというか。。。

なので自分は、もっと人間に寄り添ったプロダクトを作れるようになりたいと思った。

話は変わるが、今日、池ノ上さくらフェスティバルを見てきた。

距離にしたら1kmも全然ないような道路で食べ物が売っていたり、フリーマケットが開催されていたり、ちょっとした催し物があった。

有名人がいたわけでもなく、有名なお店が商品を売っているとかでもなかったとは思うが、たくさんの人がいた。

売っているものを見ても、商品を見ても、催し物を見ても、沢山の人がいる理由は正直自分では見つけることができなかった(開催してくださった方々、申し訳ありません、、、)。

が、

地域の人が協力してこのイベントを成功させようとしている雰囲気が伝わってとても心地よかった。

それになにか懐かしい感じというか、温かい感じというか、人間らしい感じというか、そういう雰囲気が良かった。

あとはみんなで協力して色々準備したりしている姿はとても楽しそうだなと思ったりした。

みんなこの雰囲気を感じに来たのか?と思ったりもしたが、人がたくさん集まっていた本当の理由はわからない。

ちょっとだけ話のベクトルは変わるが、もし効率とか生産性のことだけを考えたら、池ノ上さくらフェスティバル はやらなくなってしまうだろう。

(売上が上がって池ノ上が潤うとかではないので)

おそらく、飲み会とか社内イベントとかも同じ感じなのだろう。

ここまで書いていて思ったのが、飲み会とか社内の全体定例MTGとかを一見無駄だなと考えてしまう要因として

  • 効率より効果

  • リソース効率よりフロー効率

というスクラムにおいても重要な考え方がおろそかになっている面もかなりあるなと思った。

(もちろん、飲み会が嫌すぎるとか、そういう時間が苦手過ぎてストレスになるとかもあるので、一概に飲み会や社内イベントに参加した方が良いというわけではないと思っている。)

例えばある会社で社員100人、1日かけて総会を実施するとして単純計算800時間手を動かす時間はなくなってしまう。

100人日分の工数がなくなると考えたら効率は悪いと思ってしまうのも無理はない。

ただし、その総会で社員同士の交流があったり、社員のモチベーションが上がるようなイベントがあった場合はどうだろうか。

  • 退職率が減る(その分採用コストの節約にもなる)

  • エンゲージメントが上がり社員の生産性があがる

  • 新しいアイデアが出やすくなる

ということは起こりえそうである。

これらが起こり得るのでれば、100人日分の工数がなくなっても、総合的に見たらペイされるかもしれない。

なので、なにかたくさんの人を巻き込んだイベントや行事を設計するときはどれだけ効果的(効率的ではなく)にできるかが重要だと思った。

おそらくだが、なにか行事に参加するとか、全体でなにかやるというときに、少なくとも最初から工数や参加費用などの出費と、得られそうなメリットなどを秤にかけない方がいい。

効率悪そうだなと感じても、魅力的に感じなくても、目に見えづらい効果的な部分があるかもしれないからだ。

(効率チックなところは目に見えやすいが、効果チックなところは目に見えにくいというのはあると思う)

参加してみて効果的ではないと思ったら次回から参加しない。

とかが良いのかもしれない。

飲み会とか社内行事が必要になってきているのは(本当に必要になってきているとかのデータはわからないが肌感)生産性、効率を仕事で追い求め続けている結果、社員同士の関わりは薄くなり、そこに対して課題感を感じることが多くなったからではないだろうか。

であれば根本解決は実は、飲み会や社内行事を頑張る ではなく、

  • 効率より効果

  • リソース効率よりフロー効率

という考え方を大事にし、

日々チーム単位、組織単位、会社単位などで一つのゴールを置き、それぞれがそのゴールを達成するためにメンバー同士で力を合わせながら進んでいく

という仕事の進め方(価値観)に変わっていくことが重要なのかもしれない。

タスクA、タスクB、タスクCを達成したらゴールDを達成できるとして、

AさんはタスクA、BさんはタスクB、CさんはタスクCねってやるのは力を合わせてるかどうかでいうと自分は微妙だと思う(リソース効率チックなので)。

まずはタスクAをAさん、Bさん、Cさんで力を合わせてやっていく、次にタスク日をAさん、Bさん、Cさんで力を合わせてやっていく(フロー効率チック)。

(もちろん、タスクの大きさや粒度によって協力していく必要がある度合いは違ってくると思うが)

というような働き方が自分の中ではちゃんと力を合わせられていると思っている。

が、全員で一つのタスクに取り掛かっているので、手を動かす時間は目に見えて減る。

生産性とか効率を考えると、そういう働き方は怖くてできないと思う。

(自分もスクラムをしていて怖く感じるときはある)

それに世の中的にスキルが重要だという話もある。

高いスキルを持っている人は何でも一人でできてしまうし、一緒に働くと一緒に働いている人を足手まとい判定してしまったり(一人でやったほうが早い)、ストレスになってしまったり、誰かと一緒に働きづらくなってしまう可能性もある。

フリーランスという働き方も、チームで一緒に力を合わせてという文脈は薄いのかもしれない。

そういう背景が色々あり、そもそも論で力を合わせて働きづらくなっている面もあるのだと思う。

生産性や効率も重要だけど、過度にそれを追い求めるとそれによって

  • 標準化されることによって個性が無視される

  • 人間関係が薄くなる、人間通しのつながりが少なくなる

ということになり、結果的に

  • 消費されている感覚

  • 幸せを感じない

  • やりがいを感じない

  • チームである理由がわからない

  • なんで会社に所属しているのかわからない

ということに繋がるのだと思う。

ので、意図的に効果にも目を向けて、業務の何割かはあえて一緒に作業をしてもらう、一緒に一つのゴールを目指してもらう

など、効率は多少下がったとしても意図的に力を合わせてなにかをやり遂げるような仕事の進め方を設計していかないといけないんだと思う。

完全にフロー効率は無理かもしれないが、みんなで力を合わせる部分の仕事のやり方の設計は今後マネージャーやリーダーの方々はしないといけなくなってくるのではないかと思う(偉そう。何様。)。