小学生の頃、人生達成した人ってなんだろうって考えた時に思ったのが試験監督をする人だった。社長でもなく、Twitterでお金を配る人でもない。無欲に、回答用紙を配り回収するだけでお金を貰えるなんて、なんていい仕事だろう。私も絶対試験監督になると中学受験生の私は思っていた。当時を思うと、勉強から逃げたくて仕方がなかった。受験を落ちたら人生終わりだと思ってたし、学校でも上手くいってなかった。だから、勉強も一応終わっていて、学校というしがらみもない試験監督がただただ羨ましかった。試験を配って見つめてるだけでお金がもらえるなんてと思っていた。
試験監督をやった。今は、自分の人生は自分で決めることができる。小学校の頃に抱えていた絶望感はない。当時は、自分には勉強も向いていないが、学校に通い続けていい大学まで行かなければ、という強迫観念に駆られていた。今はもう、会社に入っても、嫌なら自分の意思で辞めることができる。でも、それゆえの不安がとてつもなく大きい。
先日、大きな決断をした。webディレクターになるか、出版社で編集系の道に進むか最後まで迷った。結果として、出版社に入ることにした。不安定で、向いてるかわからないけど、人生で一度経験したいと思う方に進むことにした。でも今でも、これが正解なのかわからなくて、webディレクター 向いてないとか検索して、毎日時間を費やしてしまう。
でも最終的には、別のことがやりたくなっても転職できる、回り道だったとしても人生でやりたいことに経験できるという経験は大きい、と言い聞かせて自分に暗示をかけている。
Awichが昔インタビューで話していた、状況に感謝する。巡り逢えたことに意味があるのかもしれないし、自分で意味をつけるのかもしれないという言葉を何度も思い出している。
試験監督をやりながら、これまでの人生の回想をしていた。
今は絶望もしていないが、選んだ道に後悔するのが怖い。けれど、選んだ道を間違いだったとしないように、頑張りたいと思う。