ふと思ったんだけど、ゴールデンウィークなのに何もできていないとかそういう言葉よく聞くけど、休みだからって何か人に話せるような過ごし方をしないといけない決まりなんてあるのか?
なんかこういうのめちゃめちゃ同調圧力というか、嫌な暗示だなと思う。
休み中なんかした?とか、世間話の軽い話題の一つとしてなのはわかってるけど、聞かれるたびにめんどくせえなと思ってしまう。なんもしないよと答えるのも微妙だよなー、という考えから連なって なんかしなきゃいけないのかよ?「なんもしない」には価値がないのか?ってなる
思えば、学生時代の夏休み前に担任が「有意義な休暇を過ごしてください」とか言ってたけど、その過ごし方が有意義かどうかなんて誰が判断するんだ?
その人の時間の使い方が有意義かどうかを他者に判断される筋合いなんてなくないか。
遠出したり趣味に打ち込んだりetcも素敵な過ごし方だと思うけど、べつにそういう過ごし方じゃなきゃダメとかないし。だらだら過ごしてようがそれがその人にとって至福なら価値があるし、だらだらする中で何か見つけるかもしれないし。それだって「有意義」のうちでは?
別に休暇を必ずしも幸せな気持ちで過ごさなきゃいけないなんてルールもないしな。クソブルーな気持ちで休みが終わったって、そこには何かしら考えや経験が発生してるわけで、気持ち的にはよくない時間だったとしても、何かしら人生には作用してると思うんだよな。マイナスであってもnullではないので、見方によっては過ごしたその時間の中には必ず意義がある気がするんよな。
結論、休み中はなんかエピソードとして残せる時間の使い方をしなきゃいけないと思いがちだけど、べつに何したっていいよな。
なんかあまりにも「休日なのに何もできてないシクシク…」みたいな人を見かけるので突然悟りの境地に飛んでしまった。教本作れそうだなわたし。
この記事、先々に自分で見返して確かにな…ってなりそうだな。かくいう私も休日なのに何もできてないシクシク…を何度もやってきた人間なので。ゾーンから戻ったらまたそっちのマインドになると思う。
あと今これ初めてPCで書いてるんだけど、最近ほぼパソコン触ってなかったのに意外とそんなにタイピングスキル(※元々そんなにない) が落ちてなくて安心した。これも有意義。