2024年9月3日 ギバーの継承

白凪 朔 (しらなぎ さく)
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公開:2024/9/3

Twitter を見ていると「ギバー」とか「テイカー」とかいう言葉が出てくる。ギバーは見返りを求めずに与える人のこと、テイカーは自分の利益を優先する人らしい。中間的な存在として「マッチャー」という用語もある。自分と相手の損得が平等になることを求める人のことをそう呼ぶようだ。しかし、自己利益を計算し、出し惜しみしながら与えるというマッチャーの性質はテイカー的であると思う。本物のギバーたちは、自分の取り分は端から頭になく、必要としている人に必要なものを渡しているだけだと考えているように見える。だから、「ギバー」とか「テイカー」とか議論している時点でその人はテイカーだとわたしは考える。もちろん、これを書いているわたしもテイカーだ。

ところで、わたしの配偶者はギバーだと思う。考える前に、他人に分け与えるように身体が動いている、ように見えるから。わたしと配偶者の何が違うのか。わたしも配偶者も、何不自由なく育ってきた点では一致している。違うのは親のスタンスである。配偶者は「親バカで、自分たちは二の次にして子どものために生きてきた親だ」といつも言う。一方で、「あなたのために特別に(コストを支払って)こうしてあげているのだから、感謝しなさい」とわたしは事あるごとに母から言われてきた。ギバーとしての有り様を当たり前としてきた配偶者と、コスト計算が身に沁みついたわたしの違いはそこにあるとわたしは考えている。ひどい親だとか、自分は可哀想だとか、そういう話では全然ない。他人から何かしてもらったら感謝しなさい、というのは躾として正しい。母は倫理観がある善人だと思う。ただ、ギバーの継承には、子どもに「与えるコスト」を意識させる育て方をしてはいけないのだと身の回りのギバーたちを見ていて思うのだ。

わたしの父方の祖母もギバーだ。ずっと自分よりも子、子育てが終わったら今度は孫を優先して生きてきた。孫が育った現在は、たまたま道端で目が合っただけの近所の外国人家族と仲良くなり、世話している。祖父は昔気質の人間で一切子育てにかかわらなかったから、わたしの父を含む、子どもたちは祖母を見て育った。そして、父もギバーを継承した。男性が家事や子育てをするのも共働きも一般的ではなかった約三十年前から、父は当たり前のように過酷な労働をしながら家事も子育てもこなしていた。しかし、覚えている限りでは感謝しろと言われたことはない。定年間際の現在もくるくるとよく働き、動植物を愛し、畑、庭、水槽の魚たちから人間に至るまで家中の生き物にエサやりをするのが日課である。父も祖母も損得勘定しないので、いつかとんでもない騙され方をするのではないかと少し心配だけれども、彼らの生き方はわたしにはまぶしく豊かに見える。後天的にギバーになるにはどうしたらいいだろう、とこの頃はよく考える。

@nu_nemutai
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