あなたのためのA

nuck
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 自分がしてもらったことよりも、自分がしてあげたことの方がずっと自分の記憶に残るということは多くの人が自覚した経験があると思う。その経験から、自分がしてもらったことをできるだけ覚えておこうという方向だけでなくて、自分がしてあげたことを相手に覚えておいてもらおうと(無意識であっても)考えてしまうとその関係はろくなことにならない。

 ろくなことにならないからという理由で、そういう考えを捨てられたら苦労はない。自分が相手にしてあげたということは自分にとってとても重い事実になり、望ましくないとわかっていても相手にもその事実をしかと受け取ってほしいと要求してしまうことがあるのだと認める必要がある。そこから出発しないとどこにもいけない。

 ただ、こんな風にメタ認知で捉えようとしてもなんにもならない。

 つまり、おそらくこんな風にまるっとまとめた言葉を並べてもどうしようもない。立場を変えれば自分も同じことをしているのだとか、これは人間なり動物の自然な反応だとか、整理整頓されたお部屋作りは後の自分かもっと詳しい人がやってくれればいい。

 頼んでもいない勝手なご厚意を、「覚えておいて」と言われて私は腹がたった。厚意はやる側の話であって、受け取る側にはそれをどう扱うかの自由があるのではないのかと何度も憤慨した。「私はAをあなたにしてあげたのだからそれをあなたは覚えておいて」という要求がまかり通ることがあるのだと改めて実感した。これを突き返すのはとても大変なことだと思う、覚えておかなければ相手のAは行き場を失って亡霊のようになるしかなくなってしまうので。

 「覚えておく」という言葉が内包する意味も想像してしまった。単に「うん、覚えてたよ」と遠いいつかに伝えることだけでは不十分なんだろうと思う。応えなければいけない、返さなければいけない、という規範がそこに分かちがたく一緒に入っている。いつか返してほしいってことだよね。返すかどうかも、受け取るかどうかも決められずにいきなり投げ込まれたこれはどうすれば良かったんだろうと思う。

 本当は何を差し置いても、これは受け取らないとすぐに反応したら良かった。たとえ触らなくても自分の中に投げ込まれたままになっているものは自分にこびりついていく。