たていわです。 寒い日が続く今日この頃、皆様どうお過ごしですか?
私の方は、日々やりたいこと、作りたいもの、描きたいものに追われ、そして揉まれながら、その波にのっています。
最近はたくさん絵を描いています。まだお知らせできないけど、いづれお知らせできる、嬉しい絵です。
絵を描いていると、今の私の作りたい世界ってなんだろうと、考えることがあります。 ここから昔の話をします。だいたい10年ぐらいから、5年前までくらいの話です。
私は以前、maidem papelという名前で約8年ぐらい活動していて、そのころの活動で私の表現したいもの・作ったもので達成したいミッションは、当時の私を救うためのものでした。(世にはばかる苦しいこと、嫌なことが理由で同じような気持ちになっている女の子を救うために活動していました。 ※これは自分で女の子と思っている人ならば年齢や性別を問わずの女の子です。この基準は最近のポリコレなどに配慮した訳ではなく、当時からこの基準です。)
(当時、自分を「救うためのもの」ということを公に話した記憶はあまりありませんが、勘が良い方はもしかしたら、薄々気がついていたかもしれません。当時のTwitterのフォロワーさんの中には、同じように傷ついたり、苦しんでいる女の子がいたのを記憶しています。みんな元気にしていてほしい。勝手に休止したの、本当にごめんねってずっと思ってたよ。)
話を戻して…、創作活動を始めたのは15歳の頃で、本格的にイベントなどに出て活動し始めたのも18歳ぐらいでした。活動を休止したのが23歳の頃です。
私は昔から傷つきやすいタチで、10代〜20代前半の頃は、本当に些細なことに傷ついて疲れ、世界を呪っているタイプの女の子でした。
学生の頃は音楽に依存して、なんとか自分を保っていましたが、ものづくりを本格的に始めてからは、何かを作って表現をすることで自分の気持ちをおさめたり、また作ったものを人に認めてもらえることで、自分の存在意義を感じていました。
今思うと大変危うい行為ですが、その当時の私には、生きる道はこれしかない!と思い込んでいたので、他に選択肢がなかったのです。 あの当時、私の作品を見てくれたり、楽しんでくださった皆さんありがとうございます。私はお陰で今ここにいます。
あの時の、そういうような毒気や、自分を認めてあげられない不安定な気持ちは、活動休止中にカウンセリングに通ったり、いろんな人の助けを受けて、だいぶ自分の中からなくなっていきました。(たまに弱ってるな〜と思うこともありますが、それはみんなそれぞれあると思うので、はい。)
そしてふと思うのです。今の私の表現したいものはなんだろうと。
もう世界を呪っていた女の子はここにいない。私は今幸せだけど、でも何か作っていたい。作ったもの・描いたものをまた届けたい。表現する側の人でいたい。
去年の秋、ドイツ旅行中にふと見た絵がとても良くて、そして同時に思ったのです。なぜ今私は見ている側で、描く側ではないのだろうと。その違和感から、また作る人になることにしました。
何もコンセプトがなく、まずは好きなものから、と描き始めましたが、やはりそれだけでは納得いかなくなって。そして全ての好きなものに共通する古いもの、アンティークを意識して作ることにしました。
今は、物語が足りないんだと思い出し、私の世界を探すため・新しい物語を紡ぐためのコラージュをまた始めたり。好きなものを再認識しながら、模索しながらだけど描いています。
後少しで掴めそうです。もしかしたら、ずっと掴みたいと思いながら蜃気楼を追いかけ続けるのかもしれないけれど。
どうか見守っていてください。