最近のこわいもの

nukaruminosoko
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最近、命とか魂とか肉体とか進化とかそういうのが頭の中でぐるぐるしている。命に怯えてる。ちょっと整理がしたくて吐き出すよ。変なこと言っててもまともなので安心してね。厨二っぽさはデフォです)^o^(

何から話そうか、何がはじまりだったかな。たぶん、自分の好きな作品のジャンルについて考えていたとき。私は総じて人外が好きで、それは二分できる。ひとつは分かりやすくクリーチャー、奇形も可愛いのも好き。これは大体死ぬことができて、命がある。一度死んでいることもあるし、生まれが複雑だったりもする。もうひとつは「不死」をもつ人外。こちら概ね人型であることが多く、人間と関わることや人間に何かしらの感情を抱いている。不死特有の心の動きは苦しくて儚くて愛しい。前述したクリーチャーは造形を意識する反面、不死は全体のストーリーや世界観が好きなことが多い。さて、これは不死にありがちな悩みかもしれない(単に私の癖で悩んでほしいだけかもしれない)けれど、失うことができない「命」は本当に生命なのだろうか。なくならないものは「ある」ことが証明できない。(こういうの、なんて言うんだっけ?)

この辺から日々うっすらと「いのち」に囚われ始めた。じゃあ何を持ってして「生きている」と言えるのか?

先日、頭蓋骨に刃物が刺さっている写真をみた。昔の海外のポピュラーな処刑方だったかな?忘れちゃったけど。まぁ、それを見て何も思わないわけ。でもこれに髪が、皮が、肉が、目玉がついていたらショッキングだったと思う。本物の生首ってだけでトラウマだろうに、それに刃物が刺さってたらもうね、ダメだと思う。って想像をした。たぶん、普段見ている「生きている人間には皮がついているから」ダメなんだよ。命を感じるんだと思う。つまり「普段見ているガワ」が「命」を表している可能性がある。じゃあミイラはどうだろう、皮はついているけど命は感じない。普段目にするガワとの違いは水分量。みずみずしくて若々しい成人と、しわしわでくたびれた老人、より生命力を感じるのは前者であることより生命とは水である………!(?)

(ここで胡散臭い水の広告とか入れれたらオチついておもろかったな)

とまぁこんな感じで、突破なことがぐるぐると。こないだ呟いた鳥の卵の話やウニの変態の話だけじゃなく、当たり前に人間の出生についてもどんどん深みにハマって、生命の神秘と言われるものがとんでもない恐怖になった。1番最初の人間、創造主、世界、知り得ないものから始まっている自分、小さい子供が成長するのも老人に若い時代があったことも当たり前なのに命に纏わる変化を想像してしまう。そしてそれらが全て怖い。街中で見かける妊婦さん、この身体の中で命が作られている、1が2になる。自分にも同じ構造が仕込まれている。わたしはひとりなのに?でも私も母体から産まれたね?血のつながりとは、遺伝子とは、他人とは、自分とは、誰なのか。

指が5本あること、それらを器用に思い通りに操作できること、2本の足を交互に出して歩けること、苦しくないように意識せずとも呼吸をし続けること、自分の意思で動かしているのに不気味で脳が「動くな」と静止してくることがある。「動くべき理由」を明確にすることでその静止は振り切ることができる。これが無理な時は(指一本動かすのもだるい…寝返り打ちたいけど億劫だ…脳だけが生きてる…私が動かせない私の体に備わっているこの脳は誰なのか…こんなん全部あげるから代わりに全部生きておくれ…)ってなってる。いや、私なんだけどね。なんなんだろうね。

オチも頭もないので寝ます。

みんなのいのち、教えてほひいです)^o^(

@nukaruminosoko
ここは泥濘の底。