解離性同一性について

よる
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こんにちは。またははじめまして。よるです。

※今回は長くなりますので休み休み読んでください。

私の解離性同一性について少しだけ書こうと思い、投稿することを決めました。

実は各SNSではたまに吐き出してはいましたが、過去に解離性同一性でした。たくさんの人格がいて、それらが私を中心に1人の人間の中に暮らしていました。

特に脳内の光景は変わりなく、人格が好きなように入れ替わって生活していました。時には緊急で入れ替わることもありました。

幼い女の子、冷静に語る男性、和風美人の雰囲気を持った明るい女性、何かあると励ましてくれる優しい男性……など10人近くいたと思います。そして、私はその中の一人である初めての人格である女性でも男性でもない、主人格を守る人格でした。

ここまで読んで、私がどうして主人格でないか、主人格の話が出てこないのか、謎に思った方がいるかと思います。

それは、主人格(過去にいた、生まれた頃からある人格)が、深い傷を負って休んでいるうちに消えてしまったからです。

***

私は学校でも家でもスケープゴートされていました。居場所はたまたま当時持っていたスマホの中と、基本的には誰も関心を向けない自室にしかありませんでした。

そこで息を潜めて生活し、人前では人格を切り替えることによって生き残ることに成功していました。かろうじて死を選ぶ選択はせずに済み、肉体的にはなんら変わりなく私たちは生きていました。

そんなある日、私たちにとっての悲劇が訪れました。

主人格がたまたま出ていた時に、当時通っていた学校の教師から酷い言葉を浴びせられたのです。

それは不意打ちでした。心臓を刺されたとも思えた衝撃が私たちにも伝わってきました。

そこから先は混乱の連続でした。私が前に出てひたすらに耐え、話が終わったときには主人格の息はほぼありませんでした。言葉が聞こえてこないのです。辛いも悲しいもなく、主人格は消えそうになっていました。

これを守らねば。守らないと私たちの何かが崩れてしまう。

そこからはほとんど私が出て主人格を守る人格としての役割を果たしていました。主人格を傷つけるやつを徹底的に避け、当時ひっそりといじめられていましたがそれをも無視をし、教師からのスケープゴートもなんとか耐えていました。学年が上がればクラス替えもあるし、あと少しだけ耐えればいい。そう思いひっそりと生きていました。

そして念願のクラス替えの時、スケープゴートしていた教師とも別れ、いじめてきたやつらとも別れ、ようやく少しだけの安寧を得ました。

しかし、そのころにはガタがきていました。学校は休み休みになり、行っても食事がほとんど取れない、部活が終わった頃には不登校になるまでになってしまいました。主人格は傷が癒えず、私や他の人格が力を尽くしてもどうにもならない状態でした。

そのような状態でもなんとか受験を受け、少し遠方の学校に受かり、全てをやり直すはずでした。学校生活を取り戻し、主人格のためにも人生を謳歌するはずでした。

けれども、そんなにうまくはいきませんでした。将来の目標を問われたときに何もわからなくなり、5月を境に学校に行けなくなり、精神科を受診することになりました。様々な事情で学校も転校か退学を迫られ、通信制の学校へと転校しました。

環境も変え、実家から祖母の家に行き、そこでしばらく暮らすことを決めました。

しかし、そこからが私たちにとっての地獄でした。発達障害のタイムスリップ現象(フラッシュバックの強化版)が起こり、スケープゴートされていた環境に精神が置いて行かれたままでした。その幻覚や幻聴とも言えるものに苛まれ、各人格も動けなくなるほどでした。そんな中で動ける人格が私しかいなく、調子の悪いときは一日中部屋から動けず、ゼリーや栄養補助食品やチョコレートしか食べられない生活でした。

調子のいい日だけ、出席日数のために学校に行く生活をしていました。あとは精神科に行くのに全てを使い、基本的には布団から出ない生活をしていました。

そのうち精神がいよいよ怪しくなり、人格がどのように入れ替わっているのかもわからなくなるほどでした。祖母との暮らしも破綻し、状況を理解し始めた実家に戻ることになりました。

そこでも状況はあまり変わりませんでした。辛い時は引きこもり、調子が良ければ出席日数のために学校に必死になっていく。精神科には必ず行く。それの繰り返しでした。

なんとか卒業し、医師から発達障害の診断が降りた頃、投薬が改善し、ようやく落ち着いた生活ができるようになっていました。

そしてはたと気づいたときには、人格が私だけになっていました。主人格を守るために生まれたはずの私は、いつのまにか主人格の体を生かすための生き物となっていました。

人格が統合されたのか、消えてしまったのかはわかりません。一つ言えることは、私は本来の生きる理由を失ったまま生きることになることでした。

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これが今書ける限界ですが、一部始終となります。

読んでいただきありがとうございました。

こんな元解離性同一症の人もいるという話でした。何かの参考になったり、感じていただければ嬉しいです。

それでは、また次の記事で会えることを楽しみにしています。

@nukuiyoru
発達障害(ADHD、ASD)、躁鬱だったり、過去に解離性同一症だった人。メンクリに8年通って得たことなどをnoteに書いています。 ここではnoteには書きづらいことなどを書きたいと思います。 note.com/menhera_yoru