自分が何を好きで、何に心地よさを感じるのかってことをすぐに忘れてしまう。忙しい時や疲れている時は特に。何にもしたくなくて、ずっと消えてしまいたくなる。だから、大丈夫な時に、書いておくことにする。大丈夫じゃなくなった時に思い出せるように。
2月
・本屋
三軒茶屋へ初めて行った。なぜかというとずっと行ってみたかった本屋が三軒茶屋にあったため。その本屋さんから出版されている欲しい本もあったのでいい機会だと思って行ってみた。正直、知らない街にいくのは緊張する。前の日にランチできる場所や雑貨屋なども検索する。私はとても外食が苦手だ。チェーン店ならまだいけるが、個人店となるとハードルが高すぎて余程のことで無いと行けない。一人で行くとなると周りから浮いているような気が引ける。(誰も自分のことなど知らないし気にしていないのだが)ずっとソワソワしてしまって落ち着かないし、外で列なんかできていたら早く食べないとと勝手に焦り、料理の味なんかわからなくなる。あと、1食に一千円以上かかるが、何を食べても「こんなもんか、ふーん」と思ってしまうので、外食するなら他のことに使おうと思ってしまうからである。
本屋さんは地図を見ながら歩いて向かったのだが、一度気づいたら行き過ぎていたようで、前を通りすぎ、「あ、あれここだったはず、」とキョロキョロと周りを見渡し、Googleマップよ嘘をついていないだろうなと疑いながら、来た道を戻ったら、慎ましやかな看板と数冊の本が置かれていてここかと気づいた。細い階段を上がるとアンティー調の扉が見え入った。
入った時、空気があたたかいと思った。雰囲気も、温度もあたたかく、体に馴染む感じがした。入ってすぐに本が平積みにされていてお目当ての本はすぐに見つかり、少しホッとする。(売り切れてないでは、と少し不安だった)SNS等でみていた書籍が並んでいるのをみて一般的な書籍では売っていないため、本当に売っているんだ!と嬉しくなった。どれもこれも読んでみたい本ばかりで、特にハードカバーの本が宝物みたいに大切に並べられているのをみて、1冊ずつ全ての本を持ち帰りたいと思ってしまう。それと同時に、何を買えばいいのかわからない、という気持ちにもなる。自分の気持ちに従って選ぶ、ということができない。どこかでみたことがある本、誰かが紹介していた本なら選べるのに、自分が読みたい本がわからない。あまり長居するのも良くない、早くみて回って選ばないと、と思うと余計に何がなんだかわからなくなって。いろとりどりの本を開いては閉じ、開いては閉じ、と繰り返す。そして途方もなく、よるべのない感覚になり、お目当ての本とその横にあった本を選んだ。
私はよく本屋で読んでみたい本はあるのに、何も選べずそのまま店を出る、ということがある。この金額を出して本を購入し、読んだとして自分は理解できるのか、学べるのか、感じられるのか自信がないのだ。
・公園
ご飯をたべ腹ごなしにサンチャ緑道を歩いた。緑道の入り口の前を通った時に自然と「この道を歩いてみたい」と思ったので、心のゆくままに進んだ。木々と民家の中に1本道がある。喧騒を離れ、静かな住宅街をゆく。澄んだくうきに午後の日差しが柔らかく、空は雲1つない、心地よくて、胸がいっぱいになる。冬の太陽の匂い。カフェもいいけれど、自分は外の自然の空気が吸いたかったんだな。川の流れている近くに腰掛ける。買ったばかりの本を開き読む。キラキラと光る水面が視界の端から見えるのが、美しく、久しぶりに呼吸ができた。
本を読んでると近くからお爺さんが「ありがとうね、こんなに水をやってくれてえらいね」という声が聞こえるどうやらお爺さんと孫の女の子が水をやっていて、別のお爺さんが声をかけていたよう。その会話を聞いてふわふわの綿毛を指先で撫でているような気持ちになり、泣きそうになった。えらいね、ありがとうね、という声が、それに応え女の子を褒めるお爺さんが、あたたかくひだまりのような柔らかさがって。その情景にありがとうとあなた達がいてくれてだたありがとうと伝えたくなった。
緑道を散策していると大声で泣いている1歳くらいの女の子。お母さんに抱かれて大声で泣いている。その後ろをお爺さんとお婆さんがついていく。どうしたの、とにこやかに愛おしそうに声をかける。その姿にまた泣きそうになる。長らく忘れていた暖かな質感を思い出した。そうだね、そうだったね、こんな世界があったね。
屋上で干されている洗濯物、古い水槽で育てられている3匹の金魚、木々の隙間から見える光、花開く寸前の蕾、甘いカステラを食べさせてもらっている男の子、そんななんてことない日常の風景があまりにも美しかった。
三軒茶屋に住んでみたい。
・髪を切る
私は苦手な場所がある。1位ゲームセンター、2位居酒屋、3位美容院である。1位、2位は音が大きい場所が苦手、美容院はおしゃれでちゃんとしていないといけない、と気後れしてしまうからだ。毎回別の美容院をアプリから予約し、その度に緊張で吐きそうになりながら、散髪に行く。何よりも嫌なのは入ってから切るまでの少しの待ち時間。所在なくスマホであてもなくGoogleを彷徨い、予約したことを後悔し、光の速さで自分の寝床に帰りたくなる。ジェットコースターに乗り、頂上まで登っている時の感情に近い。美容室では常にアウェイ、どこにも属せない宙に浮いた人間だということを自覚させられる。塾の自習室みたいに。切ってもらっている間、雑誌など渡してくれる店なら良いが、何もない店も多い。その時はもう昨日三徹目でどうしても目が開かない、今にも布団に潜り込む必要があるがなんとか意識朦朧、美容室にきたという人を演じる。寝てしまいそうなふりをするのだ。美容師の方との会話も辛いので。切ってもらった後、どうですか、と聞かれて必要以上に高いトーンで喜んでる人のようにいいですね!というのも嘘をついてるみたいで心苦しい。イマイチな反応をすると悲しまれるのでは、喜ぶのが礼儀だと思って過剰になる。そんな自分にも辟易する。ああ、いつになったら美容院を克服できるのか。