子供の頃、ひとりで遊ぶことが好きだった。いまもひとりで過ごすことが好きだ。
たとえばひとり暮らしをしていて病気になったときに、孤独と感じるタイプでもない。むしろひとがいないほうが気が楽なくらい。ひとがいるのは、どうしてもプレッシャーを感じてしまう。
学校でも、好きなときに本を読みたかったし、描きたいと思ったときに絵を描いていたかった。
昼休み、自由時間。本来なら友達と遊ぶべき時間すら惜しかった。
そんなだったから小学生の時は、この子には友達がいないのではと担任にやたら気を使われて、クラスの優等生で社交的な子たちに私と仲良くするようにと変な助言をされてしまった。
今思うとその子たちだってそんな役回り押し付けられて困っただろうし、私にしては余計なお世話だった。
やりたいことをやりたいときにしていただけで、友達だっていたし。
でも懲りずにその後もそんなかんじだったので、中学のいつかの三者面談でも同じようなことで担任に心配されて。それを聞いた母には、なんで友達と過ごさないんだ、とやたら責められ怒られた。休み時間に本を読むな、絵を描くなと言われた。散々だった。
空気を読めないとか、集団生活をできないとか、そういう心配から怒られたのだと思うんだけど、私自身が困っていないことで勝手に想像して怒らないでほしかった。でもそんなことを言い返したりもできなかった。
なぞの女子同士のトイレに一緒に行こう現象はバカバカしかったし、どうでもいい陰口大会もほんとうはいやだった。
でもけっきょく親に怒られるのも担任にいらない心配されるのもいやで、その頃仲良くしていた子たちにあわせては、興味のない相手への悪口陰口を話して、だれかを嘲笑って、自分の意見も意思も持たずに流されるまま過ごしたことを、わたしはすごく後悔している。なんて無駄でクソみたいな3年間だったろう。クソガキだった。
あの頃の自分が一番嫌いだし、同時に正しく黒歴史を刻んでいるので、中学の友達なんてひとりも残っていないし、会いたくもない。私という存在を抹消したい。
高校から美術の専門に進んで、少しずつ自由になれた。見事にみんなそれぞれ個人プレーで、それが許されるというのは楽だった。
おとなになって、運動部やサークル出身のひとたちの持つ社交性や他人への寛容さ(もちろん人によるけれど)は素敵だし、大切な学びだったんだろうなとは思うけど、それができたら小学生の時からつまずいてないので、今更だなと思う。
そういうのをいわゆる世間一般論通りの全うには馴染んでこれなかったけど、馴染めなかったなりに社会人になれたからホッとしている。
とりあえずいまの職場が潰れないうちは、頑張って投資などで財産を増やして、いまのように働けなくなったとしてもお金に困らないように、ひとりでも好きなように生きていけるだけの資産を作る。
お金が全てではないけど、お金があれば解決できることはやまほどあるので。
たのしいおひとりさませいかつの実現のために。