私たち各自のなかに、あるかなきかの光がある。個々人の生誕の以前にまで、いや万象の生誕以前にまで遡る微かな光だ。さて、遙か遠方には広大な光があり、私たちにはなぜ自分がその光から隔離されたのか、永遠に知るすべはないのだが、もし私たちがこの光明ともう一度交りを結びたいと希うのならば、おのれのなかの微光をこそ大切に守ってゆかねばならない。
(エミール・シオラン『生誕の災厄』、出口裕弘訳、紀伊國屋書店、1976)
数ヶ月単位で通っている通院の予定を丸々ひと月忘れており、酷い頭痛を抱えながら慌てて予約した。その道中で、シオランのこの話をなんとなく思い出した。
シオランの『生誕の災厄』と言えば、表題の如く、この世に生を受けた事実こそが最もの災厄ではないだろうか?といった旨の反出生主義的な話として一般的には認知されているものの、実際のところは全部が全部そうでもない。そうでもない部分のひとつにこの内容がある。
シオランの態度は、悲観的な側面こそ局所で現れ出るものの、それらは表面的なものであって、実際のところは強い感受性とリアリズムを持ってして、この生誕の災厄という事象に対し、日陰に当たる部分から生との向き合い方を探っているように伺える。
『光明』という言葉には、大乗仏教において智慧と慈悲の象徴として、瞑想中に全身から発される光のことを光明と呼び、転じて『光明を得る』とは覚ることを示す。
ある種の悲痛な経験からこの光明を会得するには、承前の微光が示す方向感覚の中で、あちらかもしれない・こちらかもしれないと、手探りの連続の中から最適な行動原理を模索し続ける他ないだろう。
失敗はつねに本質的なものであって、私たちに自分の素顔を暴きだしてくれるし、神が見るような視線で、私たちが自分を見ることを可能ならしめる
(同書より抜粋)
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閑話休題
表題は言うまでもなく、鷲田清一氏の『濃霧の方向感覚』から借用した。濃霧の方向感覚があるなら、濃霧から漏れる光が頼りになるのでは?というただの思いつきである。トルストイの『光あるうちに光の中を歩め』かもわからないが、未読のため割愛する。
ここまで書いたものの、常にずっとこの調子で書いていてはかなり疲れるなと思って、もう少し気楽に書く場所を分けようかどうかとも思い探すものの、何となく良いとも思えず止めにした。
普段無口である分、言葉が大量に出てくる手前、何年も前から付けている公開していない日記やメモの山が大量に存在するものの、そこへ継続して書くのもなんだか憚られる。読み物が常に客観的でなくてはならないといった気の抜けなさが、おそらくそのようにさせている気もしてくる。意見がないわけではないが、私的な情緒をどこか押さえつけるような動態から、ある程度自らを解放させる練習が必要だと思っている。
追記:
上記と同時に、PTSDの副作用として事件以外の当時の記憶が欠落している部分が数多くあるため、過去に習得した知識の体系化としてこれまでの書き方も同時並行とした方が良さそうだと思った。全ては修練で、チリつもである。