少し前に関わりのあった上司が休職することになった。最後のやり取りで出てきた嘘について、嘘そのものに対する欺瞞よりも、何故嘘をつかねばならなかったのか?が気に止まってならない。答えるまでもなく大凡は理解していて、自身を社会的な役目と責任を正確に理解し、きちんと、あるいはそれ以上に引き受けているからこそ、ある時に抱えきれず決壊するのだが、このような場合の嘘については、自己弁護の次元ではなく、防御壁として自身の心を護るための嘘だろうと推測する。
人の対応や反応を見て薄情だと思うのは、簡単に他責にしてしまうことのようにも思うが、言葉にならない悲鳴やサインを受け取れるかどうか、それが本当に果たして相手が望んでいるかどうかは言語で確かめる他なくても、言語化できない部分での対話を必要とする層は一定以上いる。鈍感になる事が必ずしも良い事なのかは自分には全くわからないでいる。