と書き殴られたメモ書きを見つけたため、備忘録としてまとめてみる。
フランス語の成句に《パニュルジュの羊のように(mouton de Panurge)》という言葉がある。
語源となった元の話は以下である。
とっさのことで、ゆっくり見ている暇もなかったのだが、突然、どうしたわけかパニュルジュは、何も言わずに、べえべえ啼き喚くその羊を、海のまん真なかへ投げこんでしまった。すると、他の羊が全部、同じような声音でべえべえと啼き喚きながら、これに続いて列をなし、海のなかへどぶんどぶんと飛びこみ始めた。羊の群は先を争い、最初の羊の後を追うて飛びこもうと犇き合った。これを引きとめることはできない相談だったというのは、各々方も御存じの通り、それがどこへ行こうと、最初の一頭の後に全部がついて行くのが羊の習性だからである。
(フランソワ・ラブレー『パンタグリュエル物語 第四之書』第8章より、渡辺一夫訳、岩波文庫、1974、p.82)
あらすじを簡単にまとめると、狡猾で臆病者であるパニュルジュは、羊飼いの商人から羊を一匹買い取る。羊の代金を商人から過大請求された挙句、笑い物にされた復讐から、商人から買い取った羊をすぐさま海に投げ込んだ。すると、残りの羊もみな後に続いて海に飛び込んでしまい、商人は大損をしたという話だ。転じて、《パニュルジュの羊のように》という言葉は、付和雷同を指して使われるという。
羊の鳴き声の話として、映画『羊たちの沈黙』では、主人公・クラリスの幼少期のトラウマエピソードとして登場する。劇中ではこと細かくは語られないが、家族を亡くし、農場を営む叔父に預けられたクラリスは、夜中に屠殺される子羊を解体する現場に出会してしまい、一匹の子羊を抱えたまま、叔父の家から家出した話をレクターに対して語る。その時、羊を柵から逃がそうと戸を開けるも、一匹も逃げようとはしなかったとクラリスは話す。
羊は、その外見と性質から、古来優しさ、純粋さ、従順さの象徴として多くの文化圏にまたがって犠牲獣として描かれた側面を持つ。聖書の中では、羊飼いは神であり、羊は神の民とされている。ラブレーの当該の書物は、檄文事件(カトリック教義への批判を含む宗教対立)を経て、パリ大学によって禁書目録に登録されており、この羊をめぐるエピソードは、教会主義的な当時の世論に対する風刺としての意味合いが強かったと推測される。
とはいえ、16世紀の皮肉が、今世にまで現存しているということもまた、皮肉なことように思える。