
6月4日の話だが、地元の図書館の本館へ初めて出向いた。
書籍の分類が支離滅裂といった具合で頭が痛くなりながらも、武満徹の書籍をダイジェストにまとめた文章(Visions in Time)が置いてあったため一読した。
武満のテキストには、数の中にひとつの宇宙を見出している様子が随所に伺える。
私は、「数」は色彩でもあり、また光だというふうに考えています。
(武満徹『夢と数 ー 音楽の語法』リブロポート、1987)
この言葉は、武満の作品『鳥は星形の庭に降りる(A Flock Descends into the Pentagonal Garden)』のアイデアの元として引用されている。
かつて中東のシルクロードに存在した騎馬遊牧民族は、星を座標軸に見立てひとつひとつの星の光の強さや色彩に対して名前をつける事で、自分たちが真っ暗な夜闇の地上のうち、今どこに存在しているのかを星の調べによって測っていたという。後にこの考え方は、イスラーム文明を経て、数学や天文学を始めとした学問の発展に大きく貢献した。
音楽理論のなかで、環状に音律を解釈した五度圏と、それをさらに飛躍させたヴェルクマイスター音律というものが存在する。これらの理論を図式化すると、イスラーム文明の時代に描かれた天文学書に広く描かれている図画像の円環と近似する。当時の天文学書は、西洋文明の絵画的表現の影響をほとんど受けておらず、初期に至っては座標の数値と文学表現のみによって記されていた背景がある。しかしながら、偶然の一致と言うには何か不思議な繋がりがあるように感じる。
この時代の文化の中腹・終着地として機能していたメソポタミアの肥沃な三角地帯には、豊かな水源と大河によって発展していったという来歴は、おそらく世界史などを通して知っているかもしれない。
現在私が書いている音楽について考えてみると、この数年「夢」と「数」、そして曖昧な「水」というものに強く影響を受けていることに気付く。それは半ば意識的でもあり、また半ば無意識的であるともいえる。私は思考や表現を活き活きとしたものにするためにこうした対立概念を導くのだが、「夢」という不定形への欲望と「数」の定形を目指す意志との衝突が、思考を静的なものに止めない。「水」は、「夢」と「数」のすがた統合された貌であり、その両者の異なる性質を同時に具えている。身近な死の汀(みぎわ)から無限の死の涯までを満たしているもの。
(武満徹『音楽を呼びさますもの』《二つのものー作家の生活》より抜粋、新潮社、1985)
夢と水、と言うキーワードを聞いた時に、真っ先に出てくるのは、ユングとバシュラールの二者だ。
無意識下のメッセージとして用いられる夢と、イメージとして表出された詩学的な夢とでは少し話が違ってくるものの、いずれにせよ、二者とも無意識的に働きかける存在そのものに対して、水の持つ物質性と夢(あるいは夢想)のイメージとを関連づけている。
いったい夢想家を支えている本当の物質はなんであろうか。それは雲でもなければ柔らかな芝生でもなく、それは水なのである。雲や芝生は表出(expression)である。水は印象(impression)である。ノヴァーリスの夢の中では、水が経験の中心にあるのだ。夢想家が土手で休んでいるときでも、水はかれを揺さぶり続ける。これは夢の物質的元素の恒常的活動の一例なのである。
(ガストン・バシュラール『水と夢 ― 物質的想像力試論』及川馥訳、叢書・ウニベルシタス 法政大学出版局、2008)
意識状況と一致する時もあれば対立する時もあり、その他様々な表われ方をする。夢のこのような自律的なあり方を表わすのに、唯一つ適切な概念は補償の概念だと思う。夢のあらゆる作用を要約できるものはこれしかない。補償(compensation)は補充(complementation)とは厳密に区別しなければならない。補充はあまりにも狭くて限定的な概念であって、夢の機能を説明するには不充分である。なぜなら、補充は多かれ少なかれ機械的な補足関係を示しているからである。それに対し、補償は、調整(adjus-tment) や修正(rectification)を生じさせようとして、さまざまな情報や見解を調節したり、対置させたりすることを意味する。
(C.G.ユング『夢分析論』《夢の本質について》より一部要約、大塚紳一郎訳、みすず書房、2016)
ユングの水のエピソードのなかに『水は無意識や母なるものの象徴である』という概念がある。ユングは夢について、自らの内に脈々と流れている無意識的なイメージの総体を母性的なものと捉え、水そのもののイメージ的作用とを引き寄せたうえで、この無意識の補償作用を揺籠のように捉えていたのかもしれない。
バシュラールは、中国の五行思想に近い考え方によって水を定義づけているようにも伺えるが、流動的な物質性を持つ水の性質と夢想とを関連づけて理論を展開している。人の想像力は、突き詰めれば古代から続く古い記憶が遺伝として受け継がれていく過程で、同じイメージを無意識下に共有しているのではないだろうかと思う。ユングはこれを元型と呼ぶ。
武満の示す『夢と数』との衝突をめぐる考えを読んで浮かんだのは、埴谷雄高の言葉だ。
終わりなき永劫の深き海に漂いつつわれもまた眺めぬ大いなる無人の船の沈むを。われは砂なればここに横たわりて夜の海に満ちたる潮のなかにいまぞ沈みゆく。この緩徐、一握りの砂が岩となり、一抹の塵が星となり、一片の単細胞がついにようやく最初の巨象となりいったにもかかわらず、一瞬の炎のなかにぞ惣ちすべて消え去りゆく。
光あれといえば光ありき/自らになれといえども、自らにだけはならざりき。
あるはない、ないはある、けれども、ないともいえずないともいえぬほかのまったくちがった何らかの何かもさらにまたまだまだほかならぬそこのそこに誰にも知られぬ面を伏せて隠れている。
すべて出現したものは、その出現自体の理法に従って、それ自体と違ったところの或る何物かへ向かって、必ず変革されねばならぬ。
(埴谷雄高『不合理ゆえに吾信ず』月曜書房、1956)
この文章は、自同律を提示する過程で書かれた文章の一部だが、ひとつの文学として捉えた時に、武満が言う『水』に至る過程で見ていた感覚に近い要素を持っている。『水』はあらゆる対極的なものを透明なまま接続するひとつの媒介である。水が悪くなれば風土自体が成り立たなくなるような広大さと強力さを有している。また、山間部から川下に物流を機能させる媒介となったのも水の動力が一役買っている。海に戻った水は、蒸発を経て、大気に運ばれて雨雲となり山へ還る。そのような循環性の繋がりを、星々や水に無意識のうちに引き出したのかもしれない。
考える余地のある文章が幾つかあって書き留めたが、武満の言葉から派生した話はひとまずはここまでで。
(2021.08 撮影、西洋の絵画的手法・概念が輸入された直後のイスラーム文明時代の天文学書)