そういう事を好む人がいるのは今に始まった事じゃないけど、今は悪や倫理観のないものを好む趣味が普通の事になってきていて、「倫欠」という呼び方でカジュアルにジャンル化されていたりもする。
人をいじめる事、人が苦痛を感じている事も「○○虐」「曇らせ」というジャンルとして、人が悪に堕ちるのは「闇堕ち」というジャンルとして親しまれている。
悪い事自体を好む「露悪趣味」というのも、今は多くの人々が持っているように思う。
生意気な少女を「メスガキ」と呼び「わからせ」と称して性的な目に遭わせる事も、普通の趣味のように表に出され流れて誰の目にも留まるようになってしまっている。
そして、オタクには必ずといっていいほどそういうものを好む人間があまりにも多い。(好まないオタクもいるけど、今じゃ絶滅危惧種レベルであまり見かけない)
表現の自由だから、好みの自由だから、悪い事や倫理観のないものを好きで楽しむのも認められるのが普通だと考えている人が多いように思う。
でも、そもそもまず、悪い事や倫理観のないものを好む事自体が危なくて怖い事ではないかと思う。
生きている環境も好むものも人それぞれ違うけど、心がある人間であれば、人が苦しむのを楽しむような感覚はまず持たないと思う。人が苦しんでいる所を見たら悲しんだり傷ついたりするのが普通だと思う。
人は倒錯した性癖を持つ事があるし、そういう性癖を持つ人はそれが普通だと考えていたりする。でも、そういう悪い事や倫理観のないものが本来良くない事であると理解していたからこそ、それを好む人はその趣味を隠れた場所でやっていた。
そういうジャンルを業界が出す場合はしっかり年齢制限を設けたり深夜枠で流したりしていた。そして、レーティングや深夜枠にも、人として越えてはいけないラインが存在すると思う。
でも今はそんな事お構いなしに、地上波だろうと全年齢向けだろうと子供向けだろうと誰の目にもつくネットのオープンな場所だろうと、許容ラインを平然と踏み越えた乱暴で悪意を感じるものが垂れ流されている。
最近は作り手にもオタクにも、それを「挑戦」「新しい試み」「表現の幅が広がる」と考える人が目立っている。
そして咎める人達は、表現の幅を狭める敵や変人のように扱われる。
今まで倫理観のない事をやってこなかったのは、それがいかに不健全で人にショックを与える事で社会に悪い影響を与えるかわかっているからこそ、やらないできた。
まず心ない事であるから、最初から率先してやるべき事ではないし。
でもルールや正しい事を自由を縛るものと単純で浅い解釈をする人も出てきて、自分本位な振る舞い方や黒い本音も何でも都合良く多様性や自由して認めるような世の中になってから、調子に乗った思慮のない人々が悪意や倫理観のない事も平気で趣味として表に出し、それが同じく思慮のない人々が作るメディアによって普通の事のように認められ、何も知らない子供や若者が感化され、社会の倫理観ごと破綻するようになってしまった。
フィクションでなら、悪を賛美しても暴力を楽しんでも倫理観がなくても何でも許されると思っている人も多いだろう。
でも、そこまでして悪や暴力や不道徳を好み執着し守ろうとするのはなぜなのか。それはそんなに全てをかけてでも大切にしたいものなのだろうか。
なぜ人を傷つけたり果てには殺したり、社会を乱す行為を楽しんでも許されたいと思うのか。心は痛まないのか。痛む良心があるのかすらも疑わしい。
SMプレイは一番有名な倫理的に逸脱した性癖だけど、それもパートナー同士がお互いに愛や配慮を持ち合意の上でやっている。
ブラックユーモアはあえて倫理観がない人や物事をコメディチックに描いて、そのどうしようもなさを茶化して笑うもので、倫理観を持ってこそツッコミどころのあるコメディとして倫理観のない事を昇華できるジャンルだと思う。
でも今の悪趣味な作り手やオタクが表に出している倫理的に逸脱した性癖は、一方的にキャラを傷つけて楽しむもので、それはもはやいじめ願望と変わらない。愛や必要な描写と称して理由をつけて正当化を図る所も「ただの遊び」と言い訳をするいじめっ子のように見える。
最近では悪役や立場によって善悪が曖昧になる作品に感化されすぎて、正義の概念やヒーローを傲慢だと叩いたり、善人をルールに従うだけのつまらない人間だとバカにして、悪人に少しでもかわいそうな過去や情があれば非道な行動も全て肯定したり擁護して聖人や悲劇の主人公のように扱う。
悪もまた信念や正義であると本気で思っている人もいる。他を害する事は信念でも正義でもない、高尚でもない心なき愚かな事でしかないのに。
立場や状況によって善悪が曖昧になる事は現実でもあるけど、白黒つけられないグレーな出来事があったとしても、道を間違えないために善悪の区別はちゃんと持つべき。だけどそのグレーさを都合良く解釈して、事情や理由さえあれば何しても許されると考える人がいる。
現実の事件すらもネタとして茶化して楽しむ事が横行していて、その光景はあまりに常軌を逸している。
本当に悪や倫理観のなさ自体を楽しんでいるように見える。
とても病んでいるし危ないと思う。でも彼らは逆に尊重できない人間のほうがおかしいと見なす。そこも含めて危ないと感じる。
何をしたら人が傷つくかが理解できていないし、自分の事しか考えられてないし、共感力がないように思う。
趣味と人格は別だと言う人もいるけど、こんな事ばかり目の当たりにしていると、本当に人間性に問題があるとしか思えない。
まず悪い事や倫理観のない事を好んでる時点で、少なくとも人並みの倫理観からはズレていると思うし、それが自覚できていなければ、ますます倫理観があるとは感じられない。
どんなに悪い事や倫理観がない事を、個人の価値観や好みの自由と主張されても、理由をつけて正当化しても、それが心ない事であるのは変わらない。
尊重すべきものじゃない、NOを示すべきものだから、誰に理解を強いられようともこれからも尊重しない。
尊重や肯定をしたら、自分まで危ない空気に流される事になるし、自分の大切なものも悪趣味に染められ壊される事に屈して許す事になる。
物語作品から音楽から何まで、悪意や残酷さや倫理観のなさに満ちたものを、どこにでも流され予期せず触れさせられて、好きなものまで倫理観のない要素に染められ壊れていく世の中。
自分が悪趣味で気持ち良くなれる事しか考えてなくて人が傷ついても平気な顔して暴れ続ける人々に、自分の好きなものも楽しんで過ごしたい場所も荒らされ、正論ぶった屁理屈で理解を押しつけられて振り回されるのはもうたくさん。
特にそんな事ばかりで「推しに狂うのがオタク」「頭がおかしい事してる人間はイケてる」「タブーに踏み込む事は称賛されるべき新しい挑戦」という醜い風潮が常識と化したオタクカルチャーやオタク界隈には、もう愛想を尽かしてる。
オタクの活動が緩やかで慎ましくて自浄作用がちゃんと働いていた時代に戻ってほしいと思う。