最近、あれこの人ってもう亡くなってたっけ、となることが増えた。思い浮かべる幼少期から見覚えある有名な数々の人の顔を浮かべては「生きてたっけなぁ……」と首を傾げる。
というのも最近、長嶋茂雄さんのお別れの会が報道されていて「あれっミスターってもういないんだっけ」と思ったのだ。まだ王貞治といっしょにいるような気がしていた。そういう「あれっ」みたいな、生死の判別が思い出せない人がたくさんいる。自分は薄情だろうか……?
悲しんだ時に傷がつかなければこうもわからなくなるものかな。自分の「悲しみ」という感情を不思議に感じてしまう。
「胸の中に永遠に生き続けている」というのもまた違う。あれは、もうこの世にいないことを認識した上で「もういない」ことを再認識して生きていく概念だ。でも私の中ではなんだか、思い浮かべる人はみんな死が遠い気がしてしまう。ずっとずっと生きているような気がしてしまうのだ。「もしかしたら本当はまだ生きているのかも」と〈思い込みたい〉人もいる。しかしその思い込みがいつしか、「あれっ」になるようなことが増えた気がする。
うーん、老いなのだろうか。それとも鈍麻か、無関心か……。だが「あれっ」と思って報道を見て、その人がもう死んでいるということを再認識したとき、しびれるようなさみしさが心の中を駆け巡ることは間違いない。そしてそれはきっと、亡くなったそのときの報道でもちゃんと感じていたことのはず。二重に悲しくなっている気がする。物忘れというやつで。
すべての人間を見つめていたいが、自分の身の丈には合わないことだとつくづく感じた。そもそも今日が何曜日かも分からない人間が、ひとりひとりの生と死を見つめて記憶し続けられるはずもないのだ。