2025/10/09.木-苦しみを抱える

コヤマ
·
公開:2025/10/9

先日、家族が部屋の片付けを手伝いに来てくれた。ここしばらくずっと体調が悪く、家事のほとんどが全くできない状態で生活していた。燃える日のごみ捨てだけはなんとかしていたけれど「なんとか」の範囲で、部屋は荒れ放題で洗い物や洗濯もとにかく何もうまくできなかった。やらなきゃ……と頭でわかりながら手につかなくなっていた。

そんななかでケースワーカーさんや就労支援の人との面談が控えていたから、弱って家族に頼ることにしたのである。結果的には部屋はきれいに片付いた。

ただ、片付けているなかでとにかく相手の言葉が強く、そのときはぼんやりしていたが用事が済むと途端にスリップダメージとなって襲いかかり、この数日ほとんどを寝たきりで過ごすことになっている。我ながら軟い心だと思うが……

家族からすれば気遣いの言葉であることは違いない。けれどそれはおそらく健常で、元気な人同士──あるいは風邪をひいたとかそういう、とにかく持続した精神面のささくれがない場合での“気遣い”だった。

「コヤちゃんは今何も考えられないんだから」

「コヤちゃん今ダメなんだから」

「ここはこうしたほうがいいよ。ちゃんとしてないと後がしんどいでしょ」

「コヤちゃんが元気にならないとみんな前に進めないからさ」

本当に、健常であれば気にすることもなく「そうだね」となるようなことだが、これらの言葉の数々が日を置いて私を襲っているのである。

私はダメで、ちゃんとしてない。わかっているがそこから脱せないからこその今なのに、念押しの確認のように言われて、心配を盾に“ちゃんとできる”やり方を押し付けてくる。

助けを求めるんじゃなかったと正直思った。

本人は今後もやる気満々だけれど、私はしばらく顔を合わせたくないから、会うことを断っていきたい。

当人は当初鬱にも理解がなくLINEの返信をしつこくねだったりしてきた人間で、いちおうそのときに鬱に関連する特にコミュニケーションにかかわる記事のリンクを送って、それらが落ち着いたと思っていたのだが、なかなか病人との付き合い方は難しいということだろう。互いに。

まさかその言葉の数々が私に傷を与えて無価値感を植え付けて今こうして布団でぐったりするほどになっているとは、きっと思っていないだろう……。察しろとは思わない。言おうとも思わない。今の私にはとにかく元気がないから、そういうひとつひとつの動作すらしんどくてできない。わかっているつもりなら、多少調べてくれてたっていいんじゃないかというのは、傲慢とか、わがままだろうか……

疲れた、とても