文章をかく習慣がない
ふたむかしほど前は、学校の課題であるとか、報告書であるとか、なんらかのかたちで人の目に触れる文章を書く事は日常であった。
ここ3年ほど、書くために書いているーつまり記録や報告書としての体裁のものではなくー思考の排水とでもいうべき精神のストレッチのようなもののために手書きで記しているノートがある。それ以外はe-mailもお手紙も偶に書く程度で、人目に触れる文章というものはとんとしたためる機会がなかった。
これはひとつの訓練として己に課す、ような雑記である。なぜならわたしには著作を出版したいというぼんやりとした野望があるからだ。書きかけの、散文のようなものがたりもある。文章かいたらいいのになどと言ってもらえた感性もある。また、伝えたほうがいい、世のため先の己のため過去の自身のためにもなるであろう蓄積とした経過もある。
それゆえひとつにかいてみようとする試みである。
たいしておもしろいかどうかは分からないが、ひとつここに記していこうと思う。誤変換を正すためのリテイクが筆記の波を妨げがちになることが今回の収穫としてわかった。
わたしはもっと、ひとの世にふれあっていきたい。
ひとつのちいさな窓をここに開ける。
24.02.04