2025/06/19のさざめき

海野波香
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公開:2025/6/19

仕事の昼休憩でこの記事を書いている。

昔、noteで「海野波香のさざめき」という日記をつけていた。それを簡易的に復活させる目的で付けたタイトルだ。そういえば今年まだ海を見ていないな。

そういうわけで砂浜を背景にして執筆してみた。海野波香の日記が砂浜を背景にしているのは妥当であるように思える。とはいえ、私は妥当さのために日記を書くわけではないから、気分次第では変えるかもしれない。

##リモートワークの話

リモートワークのいいところ。仕事の休憩時間に書き物をしても怪訝な顔をされないところ。前職では昼休憩にスマートフォンでポチポチしているだけで「彼女にラブレター?」などと冷やかされたものだ。

とても居心地がいい一方、少し寂しい気もする。

寂しさを埋めるためネットに頼る。とは言っても仕事中にSNSをやるわけにはいかない。恐らく私のアカウントは人事にバレている。小説書いてるって面接で言っちゃった。

バレているどうこうとは関係なく、最低限の倫理として仕事中にSNSを触ることは控えるようにしている。ここを我慢しないと歯止めが効かなくなりそう。

自宅で仕事をしている間はラジオやYouTubeを流している。言葉として聞き取れないギリギリの音量まで音を下げ、「誰かが喋っている」ということを肌で感じられるだけの環境を構築する。

誰かが喋っている。誰かがいる。そう感じることで私は自分を律することができる。ひとりで下らない奇声を上げてクスクス笑ったりせず、画面に向かってしっかり仕事ができる。

これがオフィスだと過剰に律してしまう。油断ができない。体調的には30分に1回は立ち上がってストレッチがしたいと思いながら、周囲に見られていると感じて座り続けてしまうのだ。

ひとりだと寂しさで集中できない。かといって周りに人がいると視線が気になってドキドキしてしまう。我ながらわがままだ。

出社して作業スペースを使えばいい話ではあるのだが、私は障害の特性上人混みが苦手で、通退勤のラッシュで体調を崩してしまう。つい最近も出社途中で吐き気と目眩がひどくなり途中下車、帰宅した。

今日は少し体調がいい。少しずつ身体が働くことに慣れてきたような気がする。休職明けの働きはじめは毎日が苦痛だったが、働くという感覚を思い出してきてからはむしろ暇な方が辛い。

##精神の話

インターネットで仲良くなったお友達のみんなのなかにちらほらと精神の不調を抱えている方や通院を始めた方がいて、とても心配になっている。

尤も、私は医者ではないから助言をしたりはしない。心配しながらも見守る。たまに浮上した時に声かけをして支えるくらいだ。間違っても治療法がどうこうなどという話をしてはいけない。生兵法は怪我の元。

とはいえ、治療状況が心配になることもある。

私は双極性障害を患っている。双極性障害の初期症状は鬱病と区別がつかない。ところが、双極性障害は抗うつ剤を投与すると長期的にはむしろ症状が悪化することが調査から示されている。

実際、私は初期治療の段階でとにかくたくさんの抗うつ剤を投与するタイプの病院にあたってしまい、症状が悪化した状態で他院を受診して初めて双極性障害の診断が下った。

だから、鬱病で治療を受けている方の話を聞いていて症状に波があったりすると、双極性障害の可能性も視野に入れてセカンドオピニオンにかかったほうがいいのではないかと考えてしまったりもするわけだ。

とはいえ、私はサンプル数=1の当事者として話しているだけで、何の資格も免許も持っていない。だから、どう話したものか……あるいは話すべきではないのか……。

私ならよく知らないネットの他人に治療法のことであれこれ言われたくはない。しかし、実を言うと私はまさにその「ネットの他人」からセカンドオピニオンをすすめられて今の診断に至っている。

もしかすると誰かを助けることができるのかもしれないと思いつつ、余計なお世話かなと悩んだりもする。

##小説の話

ここしばらく書いているハリポタ二次小説『その血は呪われている』がアズカバンの囚人編に突入して少し経った。

この作品は書きやすいが、書きにくい。

政治劇というタグを付けた。造語だが、意図は伝わるだろう。政治を題材にしたエンタメというわけだ。カタカナ語を使うよりは〇〇劇という言い回しの方がしっくりきた。

エンタメは私の領分だ。上手いか下手かはともかく、ここ10年ほどはエンタメを志向して書き続けてきた。それなりに読者の心を揺さぶるものは書けているはずだ。

クロスオーバーなどもしていないし、原作の設定やキャラクター性さえしっかり守っていれば書きたいものを書ける。実態としてはハリポタ二次というよりも「魔法ワールドの物語が史実だった世界の時代小説」に近いのかも。

そういう意味ではすごく書きやすい。私の書きたいものを書きたいように書かせてもらっている。それで読者が喜んでくれるのだから、これほど作家冥利に尽きることはない。

とはいえ、私は政治を知らない愚かな若者だから、まずは政治学を学ぶことから始めた。これこそがまさに書きにくさの正体だ。

有斐閣出版の『政治学 補訂版』を少しずつ読んで政治というものへの理解を深めている。大学で学部生向けの教科書に使われているというだけあって、わかりやすく読みやすい。

しかし、理論としての政治を学んだところで官僚や政治家の政治実務を書くことができるようになるかというとそうではない。そこで内閣府や人事院から出ている公式情報を漁った。

次に手を付けるべきは霞が関の官僚によるエッセイかなあと考え中。私が今回書いているのは1990年代イギリス魔法界の政治だから、どこまで参考になるかはわからない。

ハリポタの政界ははっきり言って情報不足でめちゃくちゃだ。理解が追いつかない。議会がない英国ってなんだ、シモン・ド・モンフォールが泣いてるぞ。

最近は特に魔法大臣について悩んでいる。英国には閣外大臣というシステムがあり、内閣の構成員でない国務大臣が存在する。魔法大臣もその一部であると考えたほうがいいだろう。

そして、魔法大臣は多くが魔法省官僚の出身であると見てよさそうだ。日本でいうところの官僚派が多数派を占めているということだろう。

ここで悩ましいのが、国際魔法協力部(外務省)が出世の傍流で魔法法執行部(ほぼ警察権中心の内務省)が出世の本流とされているところ。必然的に魔法大臣に求められる資質は魔法界内部の統制であるということになる。

魔法大臣令という政令のような何かが大臣室の一存で発布施行できることからも察せられる通り、魔法大臣というポジションはやろうと思えばかなりの強権を振るえるようになっている。

それがなぜなのか、何のメリットがあるのか……このことを考えるために、各国の政体についてもう少し調べてみようかと思う。頂点権力者に権力を集中させるメリットとデメリット。これは考えるべきことだ。

作品の話に戻ろう。

おそらく今後、主人公にとっての敵は大臣室とそれを支持するウィゼンガモットになると思う。特に本作では英国魔法界に二院制議会の導入を推進する予定だから、既得権益をしがんでいるウィゼンガモットとは対立する。

ただなあ……原作に登場するウィゼンガモットのキャラクターはほぼ全員が親ダンブルドアで、反ダンブルドア親大臣室派の評議員は全員モブなんだよな……。

完全オリジナルキャラクターを生やすのはあまり好きではない。魔法ワールドという本流から脱線する行為だ。それならば、登場した純血旧家からその子弟を登場させたほうが気持ちがいい。

こういうところで、私は魔法ワールドを「原作」というよりはむしろ「史実」として扱っている節がある。歴史改変ファンタジーを書いていた時の手つきが残っているのかもしれない。

ハリポタ二次のコミュニティは優しい。感想欄の盛り上がりを見るのは好きだし、ハーメルンの「ここすき」機能で読者が好きだった行を示してくれるのはもっと好きだ。

この作品を完結させたら公募に戻るつもりだが、ひとり静かに書き続ける戦いに私の心は耐えられるだろうか。信じるしかないな。