親しい人と話せば、くだらないしょうもない内容で息ができなくなるほど笑い転げるのに、その話が終わった数秒後には己の卑しい面、不出来さに失望し涙をし始めている。
心配かけまいと黙って居ても涙腺のバルブが腐り落ちているのか涙は止まらず心配される。
泣く度に己の涙腺が壊れていることを恨む。
泣く度に、泣きたくもないのに、返す言葉を懸命にまとめようと、必死になるほどに涙が出てくる所為で、泣けば許されると思っているのだなど心無い言葉を浴びせられたことを思い出す。
他人への申し訳無さと、自己嫌悪ばかり膨れ上がっていく。
時間が解決してくれる。
他人は口を揃えてそう励ましてくれるが、幼少期から少なくとも10年、何度も、何度も同じ事で自己肯定感も何もかもを削ってきてしまっているのに、あと何十年掛ければ時間はこの状態を解決してくれるのだろう。
あと何年堪えれば良いのか、全くその言葉による希望が見えない。
調べたことを実行しても自分には効果がないように思うこともしばしばで、できない、効果がないと感じるや否や、過去に言われた
やる気が無いからだ。
という言葉が浮かぶ。
やる気があっても、指示通りに動いても、正解を提示もされずにそうじゃないと言われ、じゃあ手本として正解を教えてくれと聞けば自分で考えろと微塵も正解を教えてはくれなかった環境を思い出し、どちらにしろ間違っているのにどうすればよいのかと考えることをやめてしまいがちになる。
何処へ行っても、何もやっても、記憶の言葉に板挟みにされ、身動きが取れなくなる。
忘れたくとも忘れられず、思い出したくなくとも思い出し、言われた当時と全く同等の情緒に陥り鬱々とし続けてしまう。
処方された薬を飲んでもこの有様は、どう脱せば良いのだろうか。
思考のクセを治す他ないのだろうし、今通っている医者で指示のあった訓練をして行くのが良いのだろうが、自分が経験した結果と、他人の提示してくれる結果が天と地の差で信用できないという状況に陥ってしまい、うまく実行できずにいる。
人間不信、トラウマ、躁鬱の症状が重なっていると、こんなにも生きづらいのだと実感せざるを得ず、また、きっとこうして書いている文章も何も知らない他人にとっては被害者ぶっている、可哀想な自分に酔いしれている、など心無いことを思われるのだろうと悪い想像をしてしまう。
朝から生きづらさの凝縮のような思考を巡らせながら起きていた。
救いがほしい