いわゆる「調整」をなりわいとしている人はこの世の中にたくさんいる。課題解決や目的達成のために、企業であれば内外問わず人と人の間に入って潤滑油のような役割を果たす。「目配り、気配り、心配り」と、どの会社でもビジネス研修なんかがあるとうるさく言われるアレ。中堅や管理職になるとマネジメント研修とか受けさせられるアレっす。
調整役が必要とされているということは、裏を返せばそれだけ人がコミュニケーションに課題を抱えているということで、社会で生きていくことは本当に難儀なこっちゃなぁと最近よく思っているわけです。
出版業界だと、作家と会社を繋ぐ編集さんだとか。一般企業では営業さん。医療業界だと医師と患者等を繋ぐ看護師等だとか。派遣会社のような人事サービスも…。規模を大きくしたら、戦争もドンパチやっている兵士たちの裏で必死に交渉を重ねている人たちもいる。例を挙げたら数え切れないですけど、とにかく「人と人の間に入る人」が必要で。そこには人と人だけでは完結できない難しさが確かにある。できるかぎり直接タイマンでバトルするってことを避けたがる。あれだけポケモンバトルはしてきたくせに。(と思ったが、あれも人と人との間にポケモンという第三者を挟んでいることに気がついた。ポケモンといういたいけな生き物にバトルさせるだなんて、やっぱり人間は愚かだな…。しまった話がズレた)
何が言いたいか、まとまってないので申し訳ないんですが、この調整役ってあまり公に出ないというか、裏方の仕事に見えがち。外からでは見えにくい根回しをしてたりするから余計に。性質上、焼け野原になってしまうリスクを抱え、詳らかにできないこともたくさんある。
「目配り、気配り、心配り」をして精神が摩耗する割には、あまり評価してもらえない。(評価してくださることもあるが)
こういう役割を担う人は、目の前の課題は「コミュニケーション(対話)で解決できる」と信じなきゃやってられない。どこか本当は「無理ぽ〜」と信じられなくても、信じて双方の顔色を伺い、コミュニケーションする。嫌でもやる。コミュニケーションが苦手な人からするとぞっとすることかもしれない。コミュニケーションを仕事にしているって頭おかしいな、と私も思う時がある。山に籠りたくなる日がある。
私の下の名前には「いつも人と人のあいだにいる子になってほしい」という親の思いが込められている。ありがたいことに、その名の通り人に恵まれてはいるが、時折り山に籠りたくなる。(そう思うと名付けって大事だ。贈り物であり、呪いにもなりうる)
明日も人と人の間でぬめぬめするかぁ。