おれは不眠を患う者だ。
「病院に行け」と言われるけれど、10年も前から通っている。劇的な改善は見られない。
眠れなくなって、最初に処方されたのはベルソムラ (スボレキサント) だった。睡眠薬としてはかなりマイルドな部類だろう。依存性が低く処方日数に制限がない。
メリットとしてはそれくらいで、服用したところ悪夢を見たり、翌日まで眠気が残ったり、そもそも全く眠れず中途覚醒もあったりと散々だった。
調べると「自然な眠気を強くする」との記載がある。だが、おれはもはや自然な眠気でどうこうできるレベルになかった。
というわけで、次に出されたのはデエビゴ (レンボレキサント) だ。日本では2020年に発売されたばかり。この薬の名前の由来はDay (日中) + Vigor (活力) + Go (ready to go) というものらしい。
「舐めやがって」と不眠のおれは思った。
こちらは死活問題なのだ。何十時間も寝られず困憊している患者がこの字面を見てどう思うか、あんたは本当に考えたのか? 何がDayVigorGoだ、くそったれ。ふざけるのも大概にしろよ。
ちなみにデエビゴもベルソムラもオレキシン受容体拮抗薬であるから、有効性は似たようなものだった。
次、というかいま飲んでいるのはエスゾピクロン (ルネスタ) という不眠症治療薬だ。睡眠剤の定番であるゾピクロン (アモバン) の半量でほぼ同等の効果を得られるものらしい。
空腹時に飲むこと、と指示されたが、この条件は帰宅と食事が遅いおれには難しかった。体感だけれど、食後などに飲むとほとんど効き目がない。
また、副作用として味覚異常があり、服用直後~半日ほど口の中が非常に苦くなる。「うがいをせよ」とのことだったが、その水すら不味くて辛い。誤食防止剤のような不快な苦味がずっと纏わりついてくる。
耐えきれなかったおれは、どうしたか?
タブレット菓子で誤魔化すことにした。
とはいえ、寝る前のことだから砂糖菓子では虫歯になっていしまうだろう。おれは歯医者が大の苦手だ。
そして辿り着いたのが……
ハキラだった。いま気付いたが、子供どころか乳幼児向けなのか。
これは俗にいう「歯磨きのご褒美」であり、シュガーレスのラムネだ。妙に素朴で美味く、つい不必要なときにも食べてしまう。やや単価が高い気もするが、その値打ちはあるだろう。薬の苦味が完全に打ち消せるわけではないけれど、だいぶ (気分的にも) 助けられている。
日常的にはエスゾピクロンを飲んでいるおれだったが、正しく服用しても全く眠れないときがある。そのときのお守りとして頓服処方されているのがマイスリー (ゾルピデム) だ。
これは「脳の機能を低下させる」もので、超短時間型の睡眠薬だという。即効性があるが比較的依存性が高い。医者には「一度に最大で30日分しか渡せない」と言われた。通院の度に最大量を出してもらっているが、後述する濫用のせいで足りなくなることもしばしばであり、いつも心細く思っている。
そして致命的なのが、副作用の健忘だ。
2024年3月14日、おれはBlueSkyに次のように書いた。
俺は酒では一切酔わないが、ゾルピデムを飲むと本当に酩酊して楽しい気分になってしまう。大抵その間の記憶は保持されていないのだか、翌朝パソコンを立ち上げて「こんな文章 (支離滅裂であるが、はっとするような表現が混じっている) を誰が書いたんだ」と混乱する
それに気付き、睡眠剤を飲んだらSNSには書き込まないことにしたのだが、タガが外れた状態の自分の文章が面白すぎるので、それ見たさにたまにルールを破ってしまう
おれは家では酒を飲まないことに決めているのだが、翌朝強い吐き気で目が覚め、ふと机の上を見たらストロング系チューハイの空き缶が何本も転がっていた、という経験をしたことある。酒を購入した記憶も、飲んだ覚えも全くなく、一瞬「誰かに家に入られたか?」と疑ったほどだった。
薬剤師によると「朦朧として夢遊病のような症状が出ることがある」とのこと。知らぬ間に歩き回り、転び、骨折する人もいるらしい。
「そのような症状があらわれたら必ず申告すること」と注意されたが、正直に伝えれば処方が中止されることを知っているから、おれは決して言いださない。また眠れない日々に戻るより、無意識のうちに屋上に上りビルから転落して死ぬほうがましだ。
さらにいけないことなのだが、おれはマイスリーの最大量である5mg×2錠を飲んでも眠れないとき、(自己判断で) 追加服用している。一番酷い時期には一晩に30mgを摂取していたときもあった。正常な判断ができていない自覚はある。既に喰らった薬のせいか、寝不足で自制心が弱っているせいか、いずれにしても、おれが薬のシートを手に取るとき、一心に眠りたいと願っているということに変わりはない。
医者は「これ以上強い薬はない」と言った。いまは多量のマイスリーでどうにか凌いでいるが、いつか耐性がついて効かなくなってしまう日が来るかもしれない。
おれは昔、首都高が間近に見える部屋に住んでいて、薬の処方もなく、眠れないときはずっと窓を開けて往来する車の光を眺めていた。
あのとき感じた道路巡回車の黄色の縞模様と赤い警告灯の眩しさを、あと数時間で朝が来て会社に行かなくてはならないという焦りを、いまでもよく覚えている。
もう二度とあんな思いは御免だ。
睡眠薬を開発した全ての学者たちに感謝を捧げる。