おれが投稿した文学賞の選考状況だが、各所からの情報 (非公式) を集約するに、この先数週間の内には最終候補が確定するようだ。例年通りならば8月号誌上 (7月下旬発売) で予選通過作と最終候補作が公表されるはず。大賞受賞作の発表は10月号で、とのこと。
度々書いている通り、いまのおれはこの賞の、あるいは自分の投稿作品の行く末を確かめるために生きている。
全てを懸けた、といえるのかどうかはわからない。ただ何一つとして惜しまずに注ぎ、手を尽くした。そして結果に繋がらなかったら死ぬしかないと思っている。
これは比喩ではない。
おれには人生で三度、明確に「これが上手くいかなければ死ぬしかない」と決めていたタイミングがあった。
一度目は中学生のとき。常軌を逸したスパルタ学習塾に通いながら「高校受験に失敗したら首を括るしかないな」と意識していた。本当だ。あれは子供特有の近視眼的な悲観ではなくて、ひたすら揺るがない事実だった。
毎日学校から帰ってきて19時から22時まで塾に留まり、15分ほどの移動時間を挟んで2時半まで課題をこなす生活。土日も模試で塞がれていた。教室に行けば受験者の名前が書かれた成績順位表が張りだされており、点数が低くなるほどフォントサイズも小さくなっている。講師たちは開成や灘以外の学校に価値がないようなことを言うし、誰にも滑り止めや浪人の選択肢はなく、不合格なら発表の掲示板の前で自死するしかなかった。両親もそう望んでいたことだろう。
結果的に志望校に合格したから良かったものの……と書きかけて、あのとき終わりにしていれば その後苦しまずに済んだのでは? と いま考えついてしまった。
だけど、当時は心から死を恐れていたし、どうにかそれを回避しようと努力していた。
二度目は10代後半のとき。おれは勉学という大きな柱を失い 何の将来計画も立てずふらふらとしていた。前述のスパルタ学習塾の影響で神経質かつ傲慢になってもいたかもしれない。
それとは別に、小さい頃から音楽の道での成功を目指していたおれには目標があった。簡単にいえばミュージシャンとして生計を立てることだ。実現のために地元仙台でバンドを組んでライブハウスでのイベントに出演し、デモテープを作ったりオーディションを受けたりしていた。
このとき色々な事務所やレコード会社と遣り取りをしたのだが、選考の途中でふと「いまこのチャンスを逃したら未来はないな」と思うことがあった。「一生 田舎から出られず退屈で不自由な暮らしをするくらいなら、今生は諦めて早めにリタイアしたほうがいいのではないか」と。
いまだって大して変わりはしないが、当時はとても貧しかったし、都会生まれの恵まれたライバルたちを前にして 環境の不平等さに不貞腐れていたというか、かなり自暴自棄になっていたところもある。
結果としては、おれは執念を見せて そのときにエントリした事務所と契約することができた。だが、紆余曲折ありつつも結局最後は辞めているわけだし、これにもどれほどの意味があったのかはわからない。
この時点でもまだ積極的には死にたくなかった。
三度目は 大人になってから、小説を書き始めて3年目のことだ。いまと同じように文学賞に投稿し、結果が駄目なら何もかもを投げ出そうと決意した。
夢を叶えたいというより、どちらかというと会社勤めから逃れたい一心で賭けに出たような感じだ。この頃には体調が悪化してきていたので、もう普通の社会人として日中に働くことはできないと思い込んでいた。まあ、その懸念は正しかったのだけれど。
それでいて辞めたエンタメ業界のことが忘れられず、音楽が無理ならばせめて文学に関わりたいと縋るように小説を書いていた。もちろん、作家を志すようになったのはこれだけが理由ではないが。
結果はどうだったのか?
選外だった。
当たり前だ。たまに読み返してみるが 笑ってしまうほど酷い出来で、おれが予選選考委員でもあの原稿は確実に通過させない。締切当日の夜まで執筆していたから推敲もできていないし、そもそも設定からして意味不明で 小説の体を成していたかも怪しい。
それでも当時は大袈裟でなく絶望した。尊大にも何かしらに手が届くであろうという自信があったのだ。それが (当然の評価だが) 認めれなかった。
結果を発表する本誌で 自分の名前が載っていないことを改めて確認する。
おれは当日にでも世界と決別するつもりだった。
ところが、いまもおれはみっともなく生きながらえている。
落選したら京王線に飛び込む取り決めであったのに、いったい何をしていたのか。
これは単純に気力がなかっただけだ。
自分の死に方に注文はないが、おれには私物を他人に見られたくないという強い拘りがある。リアルの知り合いや警察・清掃業者などに部屋を漁られるのは絶対に御免だった。
だから、死ぬ前に身辺整理というか、電子データ類を含め持ち物を全部処分しなくてはならない。便利屋に依頼するにしても、その前に粗方を自分で捨てておかないといけないだろう。
また、遺産となって家族や誰かに分配されるくらいなら、(僅かではあるが) 有り金は全てあしなが育英会に寄付してしまいたい。
それらを実行するだけの元気がなくて、死ぬことができなかった。
何とも情けない理由だ。もしくは、言い訳なのかもしれない。
ただ、いざとなったら部屋に灯油を撒き、火を点け、全てを消し去ってそのまま自裁することもできるとは考えている。考えているだけで、きっと現実にはしない。そのときまで他人の迷惑や不幸を考慮できる余裕が残っていれば、の話ではあるが。
最近思うのは、自らゴールポストをずらすような真似はいい加減やめにすべきではないかということだ。どうせ三度の機会で決まらなかったがために突入したアディショナルタイムのような時間を過ごしているだけだ。いつかはどこかで見切りをつけなければいけない。
期待をするから裏切られるのだ、と言う人がいる。期待しなければ落ち込むこともない、何にも期待せずに生きなさい、と。
そのような人生に、おれは少しも価値を感じることができない。
同時に、もう何にも 誰にも裏切られたくないと思っている。
自分との約束を反故にすることは、自分を裏切ることに他ならない。
ならば四度目、今度はどうすべきかわかるはずだ。