おれの一番の願いは専業の作家になることで、次点は苦痛や恐怖なく死ぬことだ。
昔は辛いことや悲しいことに直面する度に「(原因となった誰かを) 殺してやる」と思っていたが、最近はただ「死んで全てを終わりにしたい」と考えるようになった。
特にきっかけなどはなかったように思う。
怒りのエネルギーは外にではなく内に向かい、死を罰ではなく救いに感じる。
今夜眠りに就き、永遠に目が覚めなければどんなに救われるだろうか。
心残りがあるとすれば、投稿した文学賞の選考結果を知ることができないという一点だけだ。
いつだって神に祈りを捧げる想像をする。実際に跪いて両手を組むことは少ない。
おれは自分の小説の中の医者に、生きることを諦めようとしている主人公に対し「死んではいけない」と言わせた。
現実の医者はおれに「死んではいけない」とは言ってくれない。
誰もが口を揃えて「好きにしろ、嫌なら辞めればいい」と言う。
中華街の占い師は「仕事を辞めてはいけない」と言った。「あなたは経済的な不安に耐えられないだろうから」
その通りですよ、先生。
だけど既に耐えられない状況にあるんです。
金さえあれば多くのことが解決する。
会社を辞め、このしけたねぐらから脱し、黒色の毛をした一匹の猫を飼い、毎日近所の喫茶店で原稿を書く生活ができるだろう。
上京した18の頃は、大人になってからも1人で狭いアパートメントで暮らすという未来があるとは考えていなかった。
神楽坂に他人と一緒に住んでいた時期もあったが、その頃は毎日がそれなりに楽しかったように思う。
おれは徹夜でプロットを書いて、そのまま護国寺駅の近くの上島珈琲店に行き、よく焼いたベーコンとサラダの付いたトーストモーニングを食べた。
そうして銅製のカップに入ったアイスコーヒーを片手に2時間ほどパソコンを叩き、帰りは椿山荘の脇を抜けて季節の植物の写真を撮る。
家に着いてもまだ昼前で、そこから夕方までを静かに眠った。
目が覚めると買い物に行って料理をして、選び抜いた青色の食器に綺麗に盛りつけ、21時過ぎになる同居人の帰りを待つ。
その人はよく、仕事終わりにメトロの駅構内で売っている洋菓子を買ってきてくれた。2人のうちおれだけが甘党だった。
部屋にテレビはなく、おれたちは食事が終わると決まって紅茶を淹れて、布張りの分厚いナイジェル・スレーターのレシピ本『eat』(原語版) を開いた。
おれはそれほど外国語が読めないから挿絵ばかり眺めていたが、その人は何年も英語圏に留学していた経験があり、解説のようなことをしてくれる。
買ってきてもらったケーキを小さな銀のフォークで崩しながら「今日は八百屋でバターナッツかぼちゃが売られていましたよ」と話せば、「イタリアンパセリを買って唐辛子と細切りのベーコンと一緒に炒めろって書いてある」とページが指差される。
おれは翌日材料を買い込んでそれを作り、非常に好評を得た。
これは、おれが人生で最も他罰的だったときの話だ。
おれたちはじゃんけんをして風呂掃除の当番を決め、深夜に部屋着のままコンビニにアイスを買いにいく。
一方で夜眠ることはできず、食事も人のいるところではないと一口も飲み込めなかった。
いま振り返るから眩しく見えるだけで、当時もきっと満身創痍だったはずだ。
だから、昔を羨むのは違う。