去年、転職を迷っていたおれに友人は言った。
「おまえは不退転でいけ」
そしておれは勤めていた会社を退 (職) し、同業他社に転 (職) した。全く不退転ではない。
あれから8ヶ月が経とうとしている。
おれはシステムエンジニアであって、ただ皆と同じように暮らすことができず、技術者としての志も、サラリーマンとしての出世の野望も、家庭に幸せを求めることもなく仕事を続けてきた。将来に展望はなかった。
おれの望みは文章を書いて生活を成り立たせることであり、システムエンジニアとしての頂点に立つことではない。
そのことに気付いたときには愕然とした。必死に食らいついて登りきったところで、崖の向こう側の景色がこちらと全く変わらないものだとしたら。
「あなたとは水が合わないだろう」と、ある先輩はおれに言った。この人はおれが小説を書く者であることを知っている。うちの会社にはおれが目指すような場所に至ることを夢見る者はおらず、だからあなたの下そうとしている選択は間違っていない、と。
誰よりも話すのが上手く、影響力も知識もあって人柄の良い先輩であるから、体のいい世辞の類だったのかもしれない。ただ、それでもおれがこの言葉に納得して背中を押されたことは事実だった。
おれは覚悟を決めて、退職を申し出た。
おれが会社を辞めることの責任は全ておれにあり、決して職場の人たちのせいではない。
仮に、彼らが会議で怒鳴って椅子を蹴飛ばしたり、皆の見える場所で誰かの失敗をせせら笑ったり、トラブルの責任を弱い立場の人間に押しつけて回っていたとしても、それらとおれが退職することとの間に、因果関係は一欠片だって存在していない。
そういった意思を伝えたところ、ほとんど話したことのないおれの上司は、一旦休職してはどうかとすすめてきた。仮に戻ってこられなくても構わないから、自分に猶予を持たせてはどうか、と。
その優しさをどうしてもう少しでも早く向けてくれなかったのだろうか。
違う。これは本気で言っているのではなくて、ただの恨み言だ。おれは十分に親切にしてもらったし、実力も名前もないシステムエンジニアとしては贅沢すぎる環境にいた。毎日辛いことばかりだった。労働は苦痛と怒りの中にあった。報酬と引き換えに殺さなければならない心があった。耐えるだけですり潰される時間があった。それは確かだ。けれどまだずっと恵まれていた。
いったい何が不満だったのか、なぜ安定した生活基盤を手放したのかと後悔することがあるかもしれない。芸術や表現の世界で夢を追う無謀さも理解しているつもりだ。
だけど、おれはもう決めてしまった。
何かを失ったかのような感覚もあって、ほんの少しだけ寂しく思うが、きっとそれは一時の気の迷いだ。だから振り返ってはならない。
退職届を出した。そのことを伝えたところ、先輩の一人が「お疲れ様…ではなく行ってらっしゃいだね」と言ってくれて 信じるに相応しいと思った。この道を行く
おれを引きとめてくれる人も、送りだしてくれる人もいた。とても幸運でありがたいことだ。
だからこそ、この先は何一つ諦めずに行こうと、思う。