おれは、蜘蛛や蛾が飛び回る汚いあばら屋に生まれた。
冗談なんかじゃない。いまは日の当たらない狭くてごみだらけのアパートに住んでいる。みなとみらいや浜松町の超高層ビルでスターバックスのコーヒーを片手に仕事をしていた時期もあったが、あんなものは全くのまやかしだった。
18で上京してきてから、関東区を転々と渡り歩いてきた。20歳前後の数年は、東京・飯田橋周辺でブラック企業勤めの社会人とルームシェアをしていて、家賃は完全に折半で15.75万円 (の、半分の7.8万円)。ファミリーマンションの中で最小の2DKの部屋だった。
当時、音楽活動を辞め芸能事務所を退所したばかりのおれは ぼんやりと投稿用の小説を書きながら 生活のために学習塾でプログラミングや受験生向けの小論文の講師をしていた。雇われでもなく、個人業務委託の気楽な身分だった。
ところで、飯田橋には「パークコート千代田富士見ザタワー」と名付けられたタワーマンションが存在している。飯田橋グラン・ブルーム (飯田橋サクラテラス) という商業施設とオフィスを備えた、並外れて高層で高級な建築物だ。
ある日、いつものようにパークコート千代田富士見ザタワーを見上げながら出勤しようとしていたおれは、シャンパンゴールドに煌めくそのエントランスホールから、ランドセルを背負った男児がカジュアルウェアの父親らしき人と一緒に出てくるのを見た。カジュアルだが、相当にラグジュアリーでもあった。
その子供は、おれの受け持っている生徒だった。
生徒はおれを見つけると、嬉しそうに「あ、先生!」と声を上げる。
油断していたおれは、0.1秒で頭を切り替え「はい、こんにちは」と、それらしく落ち着いた挨拶をして、隣の父親にも会釈した。
高級車の並ぶ庭園のような車寄せ、ロビーラウンジ、専用ライブラリー、コンシェルジュ。
おれはこの一瞬で打ちのめされた。
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おれの報酬はたかが知れている。他方、生徒側が塾に支払う月謝・90分1コマの授業料は、ちょっと桁を間違えているのではないかというほど高額だった。講師のランクや組み合わせによっては、平均的なサラリーマンの丸ごとの給与と同じくらいの額になる。加えて夏期講習や冬期講習には各×××万円 (常時チューターを付けたホテルを貸切っての合宿型講習 (いわゆる缶詰特訓) の費用は1日10万円を平気で超える) を投じる親も少なくなかった。
その内側で働きながら「いったいどんな人間が子供の課外教育に大金を出しているのだろうか」と常々疑問に思っていたのだけれど、タワーマンションの前で生徒親子に鉢合わせたそのとき、全ての答え合わせがされたようだった。
おれは自分の生徒のことが好きだった。どの子も素直で意欲があり美しかった。賢くて礼儀正しい子供たちがおれを無邪気に慕ってくれている。それだけで満たされるものがあったし、おれは常に彼らが希望する道を進めるようにできるだけの力を貸した。彼らのこの先の人生に幸福だけがあることを願っていた。
けれど、彼らのために紡ぐ言葉は一言もないと思う。
おれは、どうしようもなく退屈な田舎のあばら屋に生まれた。
鍵の掛かる自室もインターネット回線もなく、ゲーム機や携帯電話を持つことすら許されず (両親がデジタル機器の強烈なアンチであり、彼ら自身も決して買おうとしなかった)、学用品以外に買い与えられるものはほとんどなかった。
隙間風の吹く木造の家で、移動式のバス図書館 (いまもまだ存在するのか?) から借りた本を読むしかない惨めなおれを、原付をノンヘルで3人乗りして校内を走り回る同級生たちが笑っていた。同学年のまともそうな家庭の子供たちは皆 私立学校に行ってしまった。うちにそのような金はなかった。金がないくせに、悪名高いスパルタパワハラ学習塾にぶち込み、ピアノなどを習わせ、いったいおれをどうしたいのかわからなかった。
混乱と苛立ちの中、おれは振り返りたくないほどの労力を掛けてあの家から脱出した。
おれの両親は老齢で、いまや共に年金生活者だ。最近は視力が落ちて本も読めないと言うが、元々読んでいなかったのだから支障はないはずだと思う。1冊の詩集すら彼らが手にしているところを見たことがない。生活の中にはアニメも絵画もレコードプレーヤーもなかった。彼らは芸術を理解しないし、しようともしない。それどころか漫画や音楽をくだらないと馬鹿にすることすらあった。
…この差はいったい何なのかと思う。
おれはいったい何の罰で?
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おれは (何かあったときに辞めた職場に連絡されても困るから) 自分がフリーランスになったことを両親に伝えたが 、小説などを書いて、それで生活していこうとしていることは微塵も明かしていない。
会社を辞めて独立しました、とだけ言ったから、彼らはきっとおれがフリーのシステムエンジニアをしていると思っていることだろう。そもそもシステムエンジニアが何かということも理解していなかったみたいだし、全くどうでもいいことだ。おれはこの先も彼らに仕事や夢の話をするつもりはない。
小説家たちは皆、対談やインタビューや何かで「子供の頃から本に囲まれて図書館みたいな家で育ちました」「親の影響で『×××』のシリーズを全巻読んで~」「学校の友人に勧められて××先生の本を知ったんです」というようなことを言っている。
おれは大人になるまであまり本を読まずに過ごしてきたし、有名どころのミステリ研究会や創作塾の出身でもない。医者でも弁護士でも高学歴者でもなく、同人界隈で名を馳せてきたわけでもない完全な野良であって、致命的に育ちが悪く、教養に欠けた田舎生まれの貧乏な人間だ。卑屈にもほどがあると言われるかもしれないが、あなたもおれの実家や口座残高を見たら泡を吹いて倒れると思う。
おれはG-SHOCKを巻いた腕で中古のThinkPadを抱え、スーツにドクターマーチンで競馬場や競艇場をうろついている。エリートの子供たちに教えられることなど何一つないのに、詐欺師の様相で偉そうに生徒たちの答案に赤ペンを入れていた。まったく恥ずべき過去だ。
なのに変わらず僻みと妬みに塗れながら、高尚なその聖域に踏み入る資格を得ようと媚びへつらっているのだから反省がない。おれはいまも手の届かない世界からの評価を求めて彷徨っている。
でも、いったい誰に読んでもらいたくて物を書きはじめたのだっただろうか。
夜景もコンシェルジュもクリスマスプレゼントもなしに眠りにつく空想家たちに向けて、狭く暗く寒いアパートの一室で、おれは、この手紙を。