歯を、強く締め付けられる夢をみた。口の中が裂けそうになるほどの。歯列矯正用の器具が口に嵌っているときの、あの感じ。懐かしい。もう、自分の口の中にはそんな器具などないはずなのに、何もないなら何がわたしの口の中ででしゃばっているの? と不安を覚えたあと、口が解き放たれた。
そして、ホッとした。
この夢は、ものすごくわかりやすく、わたしの現況を象徴している気がして、見ようみまねで、夢占い。おそらく、今、何もかもから自由になったつもりでいるわたしはきっと、まだ、知らず知らず、何かに縛られている。で、縛られているなど思っていないので、その締め付けが、時々、強くなる時に、とても戸惑う。
わたしのことを、倫理的、だと最初に指摘したのは、大学院生の頃の恩師だった。
当時は、恩師がわたしの何を思ってそう言うのか、全然わからなかった。
むしろ、モラリストが泣いてすがるイデオロギーは踏み潰せ、とばかりに一時期のわたしはかなり調子に乗っていたし、イデオロギー、という用語を初めとした、さまざまな用語を知りつつある只中で、自分のそれまでのものの見方がみるみる変容してゆくのが面白くて、誰が決めたのかよくわからない、つまらない、古くさいルールを当たり前のように守り続けたがる人たちをせせら笑ったり、そういう態度をあえてとることで、善良な彼らの心情を何度も踏み躙ったりした(具体的な事例はいずれまた)。
しかし、そんなわたしの根っこにこそ、善い人間でありたい、という願望がものすごく強くあるのだと最近になって気づいた。いやわたしは、善い人間でありたい、というふりをしているだけで、実際のところは、なるべく人から善い人間と思われていたいのが本音なのでは、と考え込むこともある。
こんなことをいちいち考え込むのは、恩師がかつて指摘したように、わたしはわたしが思う以上に、倫理的、だからかもしれない?
はっきりしてるのは、わたしは、自分にとって「絶対」と思うルールから逸脱するのを、ものすごく恐れているところがあることだ。
だからこそ、時々、わたしは、わたしが”遵守”しようとしているルールそれ自体を、見直さなくてはならない。
口の中が張り裂けそうになった夢は、それを教えてくれているのかもしれない。とはいえ、そんな夢を見たせいで、寝起きはぐったりして、思い出さなくていいことがつらつらと現れて、参ってしまった。それこそ、歯列矯正をしていた時期の自分が犯した、抹消したいような、いくつかの恥ずかしい記憶が次々と。
でも、それらをこんなにも恥じることができるようになっただけでも、その都度その都度の自分にはちゃんと救いようがあった証だと思いたい。いや、そう思おう。誰かがこんなふうに言ってた通りにね。「反省は未来につながるが、後悔は自分を過去に縛りつけるだけ」。