「もうすぐ20歳で、大学生でいられることの特権をようやく意識し始めたわたし」や、「もうじき十代でなくなる自分が重ねてきた時間をそれなりに誇らしく思っているわたし」、そんな「わたし」たちが、きっと喜びそうなこの一節をしっかりと噛み締める。
「知ることは、層みたいに重なっている。ひとつの層には、つぎの層、もしくは前の層が呼び水となる。ふつう、それは変奏曲。もしくは、修正されたヴァリエーション。全体のハーモニーへの補足。ひとつひとつを見ただけでは、そんなことわからない。全体を見なければ、気がつかないことだけれど」(オルガ・トカルチュク)
『逃亡派』の、知る手段としての切断、の一節。『昼の家 夜の家』につづき、線をいっぱい引きたくなる読書。