なるべく広く浅く物事に触れて考えられるようになりたい
私はおそらく凝り性である
凝り性であると同時に飽き性の面もあるかもしれない
凝るとやはり飽きるのである
自分で勝手に深く掘ったくせに満足したら穴を開けっ放しで埋め戻しもしない
そんなところがあるので、なるべく表面に近い部分を広範囲に根を広げたい、と最近は思うのである
凝った方がいいとか浅い方がいいとかそういう正解を見つける話ではない
何かに情熱を燃やすのはパワーを消費するし、周りが見えなくなるし、他に考えたいことを投げ出してまで情熱を一点に注いでしまうのだ 現実逃避ともいう
一方で、突き詰めないと見えない景色はある 情熱を燃やすことは努力だから、凝らなければ辿り着けない到達点は必ずある
でも”ちょっと知らない”の方が人と会話してて楽しいよね、ということを最近よく思う
「これはなんやろね」「なんかいい匂いがするけどね」みたいなね
”知っていく”楽しみを得られるのは”ちょっと知らない”からだから、実は知らない方が得なのかもね
あと、別に”わかんないまま”でも楽しいよね
"わからんけどおもろい"が一番おもろいまであるかも
鳥を観察するのが好きである
鳥を研究的に観察しているわけではない
だけど、本屋でずらっと本が並んでいるところで鳥の本なんかがあると、手に取り「へー、こんな鳥がいるんだなー」と思うのが好きだし、窓の外にいる鳥を見て「群れで暮らす種類なんだなー」とか思うのも楽しい
イカルの鳴き声も見た目も好きなので、たまーにベランダの外で聴こえてくると慌てて身を乗り出してしまう
鳥に全く興味がない人からすると、これはもう”凝ってる”なんだと思うけど、
鳥を含め、特に「動物」に関しては、知り尽くせるということはないし、知ってもすぐ忘れて同じことに出くわしたときに、また完全に初見で「へーそうなんだー」とか言って楽しむことができるのがいいよね、と思っている
「これなんやろね」
「なんか知らんけど、いいらしいで」
仲の良い友達や家族とそんな会話ばかりしていたいなって思ったよ