ニュージーランド旅行記を書いている途中だが普通の日記も書いていく
旅行記、1日1日が大作になっちゃってやばいな 私の良くない意味での張り切りが出て来ちゃった ちゃんと走りきれんのか 汗
4月28日 日曜日
現在GWの真っ只中である
しかしこのGWは特に旅行などに出かける予定はない
今年に入ってから映画館にまだ1度しか足を運んでいなかったので、夫と映画館へ出かけた
”午前10時の映画祭”というやつで昔の名作を上映しており、「ティファニーで朝食を」を観た
オードリー・ヘップバーンがとにかく美しい可愛い
あと、ムーンリバーという曲がとてもよかった
鑑賞後しっとりした気分で夫が鼻歌を歌っていた
映画を見たあと買い物をして帰宅
父が田舎からやってきた
前回実家へ帰った時に持ち帰り忘れた荷物などを渡しに来た
あと、いつものことだが、畑で採れた野菜と海に行ってひろってきたわかめとあさりも持ってきた
・野菜も海産物もどれも今朝採ってきたものである話
・自分が以前まで散髪しに行っていた店が今ではベトナム系のお店になっており、そこでフォーやパクチーを買っては野外で料理して人に振舞っている話
・神戸のアウトレットパークが閉まっているので今日はこれから門真のアウトレットまで出かけて楽しみな話(アウトレットでモンベルしかいかない)
・家で母となにかと「どげんする!?」「GOする!?」(タクシーアプリのCM)と言うのにハマってケラケラ笑って過ごしているという話
父はいつも楽しそうだ 短時間で怒涛の勢いでいつも通りの楽しい日々の話をしてくる
父は豪快で大雑把で大らかかと思ったら、結構街中ですぐキレて店員や病院の人に文句を言う、あと飴玉を砂場でおっことしても食ったり頭に巻いてたバンダナでこして淹れたコーヒーを飲むような人 いや汚いわ
母は真逆のような性格で、すごく神経質で繊細で、私が子供の頃から今に至るまでずっと「なぜこの2人がうまくやっていけてるのかがわからない」と思うほどに逆だ
実家に帰った時や、父と話した時、
「ああ、そうだ自分にとって本来これが普通だった」と感じる
自分の価値観の源流を感じて、普段今の生活を送る上で、職場の人や友人と過ごす時はそれを出さないようにしている気がすると思った
そもそも私が話す言葉が地元とその他で違う
私の地元は播州地方と呼ばれる位置にあり、播州弁という言葉を使う
非常にガラが悪く、わざわざ意識的に隠してるわけではないが、中学で神戸の子達と会うようになってからは自然と家以外で使わなくなった
最近テレビで千鳥をめちゃくちゃ見るが、彼らは岡山弁なのでまた少し違うのだが、特に大悟の話し方を見てると「ほぼワシじゃぁ…」と最近よく思う 播州はほぼ岡山なんじゃあ…
播州弁が出る出ないは無意識で、家族と話すときは当然向こうもそうなので播州弁なのだが、中学以降の友人知り合いに対しては全員神戸風京都風大阪風を混ぜ合わせた謎の関西弁を使っている気がする オンラインで知り合った関東の友人との交流もあり標準語も混ざる ぐちゃぐちゃ言葉
夫は大阪の中でも穏やかな北摂の優しい関西弁なのに、夫いわくたまに聞きなれない言葉回しを私は使うらしい
一緒に歩いていて夫が違う方向へ行こうとした時に一度「どこ行きよんど!」と言ってしまったことがある それが多分夫へ初めてぶつけた播州弁だと思うんだけど、ものすごく驚かれたのを覚えてる
もしかしたら相手が相当な身内判定に入って相当気が緩むと播州弁が出るのかもしれない 無意識なのでわからんが
地元のことは普通に好きだけどとくに帰りたいなというホームシックにはならないのだけど、地元にいた時の自分とそれ以外の環境で言葉や価値観を変えている自分を見つめると少し自分に偽物感を感じてしまって誰かわたしを認めてくれ!となることがある そんなネガティブな感情もここにしたためれば多少マシなので吐き出しています
ここまでつらつら書いたことを今何度か読み直した
どんな自分でも自分なんだからなんでもいいだろうと思い直せた
結