家の者から 君はいつも 世の中の全てに怒っているね と言われたことがある
その時は何のことだか分からず いつも不機嫌そうだねと言われたようでムッとしたのだが 時が経ち だんだん意味がわかってきたような気がする
私はとびきりのミーハーだ 流行りものに弱い そのなかでも特に 誰かが熱烈にイイと言っていたものに関しては 手に入れたくてたまらなくなってしまうのだ
Xを見るのもその延長線だった 誰かがおすすめしているものが次から次に流れてきて 目移りするぐらいである Amazonのカートはパンパンになっていくし おうちの中は誰かのおすすめで溢れた 実際とても良いものに出会うこともあったし損をしたという気持ちもなかったが 少しずつ 自分の好きなものと誰かが好きなものとの境目がぼんやりとしてくる感じがしていた
そんなある日 Xで誰かがおすすめしているものに対して これ買ってみたけど全然良くなかった!!と猛反発している人を見かけた いわゆるステマだった 私は誰かの意見に流されやすいので どっちの意見に流されたらいいのか分からなくなった 私の意見はどこ そんな気分だった
それからというもの Xを眺めていて 誰かがものすごく怒っていたり ものすごく悲しんでいたり 社会について物申しているツイートを見ると心が引っ張られるようになった どこに向かって流されたらいいのか分からない 知らない誰かの育児や政治への考え方や思想に勝手に共感して勝手に影響されて それを批判する誰かに勝手に傷つけられる
誰かの話が自分のことのように感じて 誰かの炎上が自分のことのように感じて
街を歩く知らない人も 誰かのことをこっそり誹謗中傷しているのかも 私のことをネットに書くかもと どんどん人の目が怖くなり ついに外に出ることが出来なくなった
誰が何を考えているか分からない 人が考えていることなんて分からなくて当たり前で そもそも別にどう思われたっていいのに 冷静になって考えると頭がおかしくなっていたなと分かるのだが 色んな人の言葉を見過ぎて自分を見失ってしまったのだ
そのときに言われたのが冒頭の言葉
初めは 誰かのおすすめしている物を見て 共感して 自分も買ってみようとか 誰かのお気持ち表明を見て 私もこう考えるようにしようとか そういうふうに 客観的にというか 俯瞰でインターネットを見ていた それが 過激なツイートや炎上や強い言葉ばかりが流れてくるようになり 心が弱い私には影響力がありすぎた いつも誰かが怒っている だから私もいつも怒っている 顔も知らない誰かのために
まったくもって 馬鹿馬鹿しい
私は何もされていない 私の身には何も起こっていない もちろん何か行動したわけでもない
私はただ カーテンを閉め切った真っ暗な部屋で 眼精疲労で目を真っ赤にしながら ただただ画面をスクロールしていただけだった
いま私は 明るくて 網戸から涼しい風が流れてくる実家のリビングで 温かいコーヒーを飲みながらこれを書いている
人の話を見聞きすることは楽しい 知らない誰かと交流するのも ネットの評判でお買い物をして一喜一憂してみるのも 誰かの身の上話に共感したり たまに世の中に幻滅するのも それもまた一興かもしれない
ただ それが全てではない 世の中や世界の全てを知ったわけではない
それを書いた誰かだって スマホを置けば 社会のなかで四苦八苦しながらなんとかやっているのだ
世界はスマホの外にある
これは自戒だ
誰かの言葉は自分を救いもするが 足元を掬われることだってある
ほどほどに人の話を聞きたいと思う 私のようになる人は稀かもしれないが どうかあなたもお気をつけて
あなたはあなたの世界を生きるべきだ
ではまた