日記を書くつもりでこのサービスを始めたが、正直に言って何も書くことがない。二日目にしてネタが尽きてしまった。差し当たっての予定を述べると、来週手術を受ける。十年前にも同じ病気で手術をしたのだが、いつの間にか再発していた。大病院の女医は、にとりささみが描くうさぎ先生のように「骨が溶けてますね」とクールに言い放った。最初にかかった地元のクリニックの先生も「骨が薄くなってるから殴られたりしないように」と言っていたが、殴られないようにするには何に気をつければいいのだろう。若い頃、別の病気をした時は「脾臓が破裂して死ぬので、お腹を殴られないようにしてください」と言われた。殴られないように気をつけなきゃいけない人生、嫌すぎる。さて、奇病ではあるが、実は私はこの手術のための入院が楽しみで仕方ない。何しろ、久しぶりに家族から離れて一人で過ごすのだ。入院しているあいだはひたすらベッドの上でゴロゴロできるし、料理も作らなくていい。毎日夕方になると「夕飯作りたくない」とX(旧ツイッター)に呟いていた私からすると、こんなに嬉しいことはない。料理、苦手である。正確に言うと家族のために料理を作るのが苦手である。これは自分と家族の味覚が大いに違うことにも原因があるだろう。料理が苦手だからと言って家族を飢えさせるわけにはいかないし、かと言って自分が食べたくないものを食べるのもつまらない。だから私は自分の夕飯と家族の夕飯、それぞれ別メニューを作る。まず自分が食べる料理を作り、それを食べて英気を養ってから家族の分を作る。二段階右折ならぬ二段階夕飯というプロセスを踏まないと、料理という困難に立ち向かうことができない。家族一人一人食の好みが違うので、場合によっては三段階、ひどい時は四段階右折になる。私の食事に関するスタンスは孤独のグルメの井之頭五郎言うところの「モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで…」に近い。孤独のグルメは一人飯の話だが、家庭での食事であっても本質的には同じだと思っている。私は私が食べたいものをゆっくり食べたい。一方、趣味で繋がりあった友人たちと外で食事をするのはごく当たり前に好きだ。価値観の合う人たちと食事をするのは楽しい。特にアフタヌーンティーは楽しい。コース料理ほど肩が凝らず、だが見た目は華やかなのがいい。甘いものだけでなくしょっぱい料理があるのも嬉しい。紅茶をたくさん飲めるのも嬉しい。店のスタッフが口上のようにメニューを説明してくれるのが楽しい。冷たいものばかりではなく、温かいスコーンもあるのが胃に優しい。クロテッドクリームとジャムは何より美味しい。だから、どうしても今週行きたいと思った。手術後は流動食から開始してしばらくは固いものが食べられなくなるため、入院前にアフタヌーンティーに行っておきたかったのである。というわけで、突然の誘いにもかかわらず趣味の友人が来てくれることになった。店の中はクリスマスの可愛らしい飾り付けによって多幸感が満ちており、料理はどれも素晴らしかった。クリスマスプディングに、ミンスパイ、ローストビーフとヨークシャープディングなどなど。そしてさっくりとした温かいスコーン。二種類のスパイスティーを飲んだが、どちらも刺激的で美味しかった。スパイスはお茶だけではなく菓子にもふんだんに使われていたが、スパイシーなお菓子というのは私の家族が全く好まないものだ。変わった香りの紅茶を飲みながら、ああ、私は今、"誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われて"いる…そう思った。その後丸の内のイルミネーションを見て、東京駅から京葉線のホームに向かう長い長い通路を歩き、電車に揺られて地元駅に着くと、家には直行せず回転寿司に向かった。カウンター席は黙々と寿司を食べる一人客ばかりで、自分もその中に混じって座る。ホスピタリティ満点のティールームとは天と地ほども違う、無味乾燥なタッチパネル式注文だが、こういう食事も好きである。私にとって食事とは誰にも邪魔されず、自由でなんというか…とまた井之頭五郎。