美味しいものを誰かと食べる時、場の雰囲気を良くしようとして過食に走る。その代償として、今日も胃袋が悲鳴をあげるまで何かを食べてしまった。
同じようなことが、他にもある。皮膚の痒みのことだ。痒くて痒くて、本当は掻きむしるのを我慢しないといけないのに、今そこにある痒みをもみ消すために掻きむしる。代償として得るのは、痒みの沈下ではなく皮膚の炎症である。
もしかすると、精神面的なこともそうかもしれない。私は大人になった今も、学生時代から続けている楽器の習い事を月に三回している。本当は退勤後に楽器に触る体力が残っていないせいで、モチベが地に落ちてしまっている。本当はもっと他に専念したいことがあるのと、月謝が高いのでやめたい。なのにやめられないまま、まだ続いている。来月は一応一ヶ月のお休みを貰ったけど、五月には復帰するという体にはなっている。
正直モチベが回復する見込みはないと私は思っている。なんなら習い事に行くのも億劫で、音楽や楽器は好きだけど、このままだと楽器だけでなく、先生のことまで嫌いになってしまうかもしれない。すぐに気が散るし、力を抜けと言われても気はずっと張っている。
力の抜き方がわからないくせに、手の抜き方がわからない。キャパは遠の昔に超えているはずなのに、それを減らす術がわからない。減らし方を教えてくれる人なんて多分いない。改善策も思いつかない。
きっと専念したいことの妨げになるなにかがそこにあるから、過食が増えたのかもしれない。過食でなければ、皮膚の痒みか。何かを辞めれば、一ヶ所だけでも力が抜ける気がする。
何かを辞めるためのブレーキとアクセルが欲しい。衝動を止めるブレーキと、主張をするためのアクセル。欲を言えば、方法指示器も欲しい。この人は今から右に曲がるよって言えれば、そこにいる人が道を開けてくれるかもしれない。
そう考えると、来世は車になりたいなと思った。誰かが私を足として必要としてくれる。ハンドルをしっかりと握ってくれるし、ブレーキとアクセルもあるから、適切なところで指示を貰いながらその人を目的地に連れて行くことが出来る。視界が悪い時はワイパーで全部はじいて、私が良くないことをしそうになったら、ハザードもつけてさ。カーステレオのFMから流れる曲も、全部私が歌っていることになるかもね。流石にそれは無理か。
ドライバーみたいに、導いて欲しいのかもしれない。「もうこの道は進めないから、引き返しても良いよ」とか「今日は雨だから、道が険しい所を避けようね」とかさ。私が人間だとしても、そういう人が傍に居てくれたらいいのになと思う。「もう受け入れられないなら、無理に詰めなくてもいいよ」とか「これ以上掻きむしるとボロボロになっちゃうから、触る前に塗り薬をぬろうね」とか。いたらいいな、そういう人が近くに。