こんばんは。
インターネット上に日記のような文章を載せるのは何年ぶりだろうか。
幼稚園〜小学生のころは交換日記が流行っていたらしい。“らしい”というのは、実際に交換したことがないからである。ガキというのはミーハーな生き物なので、私も漏れなく買ってもらったくちなのだが、残念なことに交換してくれる友だちがいなかった。
なので、なんと交換日記をひとりでやっていた。しかも参加者全員にしっかりキャラクター設定を作り、字体まで必死に変えていた。
当時、自分の名前が本当に嫌い(今は諦念が勝ってしまったが潜在的には残る)だったので、自分は一切出てこなかった。参加メンバーは自分がなりたかった、かわいい名前の女の子たちだった。しいていえば、その中のひとりが波音(はのん)という名前で、『ぴちぴちピッチ』のキャラクターから拝借しているのだが、その子に自己投影していた気がする。今聞いても響きがさらっとしていてかわいい。
まあつまり、架空の女児複数人による架空の思い出ノートを運営していたわけである。先行きが不安だ。
そこから、パソコンを触るようになり、とあるコミュニティサイトと出会ってしまったことがすべての始まり(終わり)だった。コミュニティサイトにはさまざまな機能があり、その中のひとつであるブログ機能を用いて作成したブログがインターネット媒体としては初めての日記だった。
当時のブログを引用しようと思い、魚拓で引っ張り出すところまで至ったが、本当に恥ずかしくてここから手が動かないので許してほしい。それまでいわゆる幼年漫画しか手に取ったことがない一般的な小学生が、インターネットを通じて、同級生が間違いなく読んでいないであろう青年漫画やサブカルチャーに触れてしまった時の爆発的な承認欲求のおそろしさといったら、想像に難くないのではないか。厨二病も併発していたのでなおさらである。周りが中学生〜高校生のお姉さんたちだったのも大きかった。生意気だったので縁を切られることも何度か経験したが当然である。あんなクソガキに構ってくれて本当に感謝しかない。
しばらくしてコミュニティサイトがmixiタイプのSNSを開設し、コミュニティ機能や最終アクセス機能などの閉鎖感が心地よくそちらに入り浸るようになるのだが割愛。
並行して使っていたのが、携帯ブログだった。オフライン用にはデコログ、オンライン用にはAlfooを使っていた。このあたりはあまり記憶がないので時系列が事実と異なる可能性がある。
小学校高学年、なぜか私は学年でもイケイケの女子たちとつるんでいた。彼女たちは、同じくイケイケグループに属する男子と付き合ったりこれから流行る文房具や小物を先駆けて持ちこんできたり放課後は近所のショッピングモールへ向かい100均のプリクラ機をループするような遊び方をしていた。うーん、絶賛オタク街道まっしぐらだった私がなぜ仲よくできていたのか。休み時間にEXILE『24karats』の振り付けを徹底的に教えこまれたことは覚えている。閑話休題、そういうわけで、デコメールが流行っていた。今となってはただのHTMLメールだが、当時はとても衝撃を受けた。かわいすぎたのである。キャリア絵文字はそれはもう本当にダサかった。使いたくなくて2ちゃんねる風顔文字を使っていたら「メールで使ってくるやつ、変」と言われてしまい、深く傷つきながら家に帰った。それはそうである。その出来事もあって、デコメ絵文字は自分にとって革新的な救いだった。キャリア絵文字に比べると今どきっぽいデザインが多く、装飾されたメールが送られてくるとめろめろになったものである。そういえばあれらは誰が作ってたんだろうか。
デコログは友人たちがやっていたという点、デコメ絵文字を収集できる点で始めたのだが、パソコンから更新していた。使っていた携帯がインターネット制限をかけられており、アクセスできなかったのだ。収集した絵文字はパソコンから携帯のアドレスに送っていた。必死乙すぎる。友人たちは出先でも更新できるが、自分は在宅中にしか更新できないので楽しくなかった。インターネット制限をかけられていることも恥ずかしかったので、面倒くさいと言ってあまり投稿しなかった気がする。
オフラインでも携帯ブログが流行っていた。それがAlfooだ。
厳密にはその前につなビィもやっていた。写メ(死語)に短文を添えて投稿するスタイルで、ブログパーツとして貼りつけることができるサービスだ。メール投稿ができたのはありがたかったが、当時小学生だった身としては撮る素材がなかった。だって近所の風景を映すと特定されるし(ネットリテラシーが高い)。なのでやっぱりあまり更新しなかった。写真がなくても投稿できた気がするが、どうしてもレイアウトとして面白みに欠けるのだ。そのぶん、Alfooはメール投稿もできて写真添付しなくてもよかったので結構投稿していた。でも、何を書いていたかは覚えていない。論理的思考はなかったので長文萌え語りはしていないと思う。やっぱり日常のことかな。つなビィもAlfooもインターネット友だちに便乗して始めた。
自分の絵を載せるサイトをFC2で作り、そこには日記コンテンツも設置していた。といっても、サイトに展示するほどでもない落書きを載せることが目的だったのでまあ名前だけの日記だった。そしてそのころにはもう旧Twitterを始めていた。創業して間もなかったと思う。イノベーターにも程があるだろう。相変わらずインターネット制限のかけられた携帯を使っていたため、モバツイは使えなかったが、学校と塾に行く以外は家にいたのでツイ廃はしやすかった。高校受験期あたりでFF0人の鍵アカウントを作って、日々のいろいろなことを書きまくっていた。鍵なので名前や地名などの身バレするようなことも堂々と書き、完ぺきに日記として利用していた。それまで男性向けコンテンツが好きだったのだが、急に女性向けコンテンツにハマってしまい、乙女ゲームの話ばかりしていた。フリーゲームの感想も書いていた。あのあたりから萌え語りができるようになった。
高校に入ってからはFC2ブログに鍵をかけて日記を書いていた。いつクラスメイトに「ブログやってるの?URL教えて!」と言われてもいいように、オタク要素やネガティブな内容は控えていた。結局、誰からも訊かれることはなく、自分から宣伝する勇気もなかったのだが…
とはいえ高校1年生のクラスは仲がよかったので、意識せずとも明るく楽しい内容が多かった。成績が悪いこととオタクをさらけ出せないこと、2年生のクラスが最悪で男嫌いになり、さらにSyrup16gやthe cabsなどが生み出した暗い曲に魅入られてしまい、徐々にメンヘラと化していく様子を窺えることがあのブログの見どころかもしれない。
紙のノートとTumblrでも日記を書いていた。日記というべきかエッセイというべきか。学校でのとある出来事が影響し大学受験に集中することができず浪人することになってしまった時期で、高校時代から積み重なった自己嫌悪や高校の同級生と両親への憤りがものすごく、ルサンチマンの塊だった。
高校を卒業した私はみんなより3日遅い卒業だった3月10日は風が冷たくて鋭くて痛かったけど春はすこしだけだけどたしかに訪れていてやわらかな日差しを浴びながら駅まで向かった3月に入ったということをこの時まで忘れていたのは日付を書くような習慣を長らくしなかったこと記憶力が衰えていること家でひとり閉じこもっていたことが原因だと思う頭の中を探ってみると春の記憶というのは入学卒業進級進学といずれも学校が絡んでいてでも今年の私にはそのどれもが正しいかたちで訪れないのだと思うと悲しくなった駅前でジャージを着た高校生を数人認識した時とてつもない嘔吐感が腹の中からこみあげてきて目の奥がツンとしたけどどちらも走ってのみこんだ。
街を歩いた。ずっと俯きながら歩いた。歩いているのに、前に進んでいるのに、数歩先にある地面から顔があげられなかった。人の顔は見ないで済んだ。下向いて歩いてるのなんて私だけだと思う。人と視線を交わらせないためにはこうするしかなかった。蛇に睨まれた蛙のようになると分かっていた。一人で歩くのはおっかないな、と思った。ポケットにつっこんだ手はなかなか暖まらなかった。広場でストリーミング放送をやっている若者たちがファッションビルの警備員に注意されていた。それを遠巻きに眺める人々。ティッシュを差し出されて無視した。少し歩いた先にもティッシュ配りは居たけれど、今度は私が無視された。悲しかった。受け取らなかったくせに。
写真を消した。たくさんたくさんたくさんたくさんたくさん消した。何もなくなった。でも記憶は残り続ける、データも記憶も形がないものなのにどうして同じように容易く消えてくれないのだろう。後悔しないため?同じ過ちを二度と犯さないため?
こういうことをめちゃくちゃ延々書いていた。病院行け。
あと、インターネット上ではないが1、2年前に少しだけ紙媒体で日記を書いていた。心療内科(社会人になってから結局通うことになる)で、日記を書いて嫌なことを整理するといいと言われたので実践していた。当時の仕事環境や出来事を書いていたが、ボールペンで書いた文字がところどころ涙でにじんでいるので見返すと悲しくなる。仕事に慣れて以降は書くこともなくなったが、手帳がもったいないのでイベントの半券や特典のポストカードを定期的に貼りつけて思い出スクラップ帳にしている。
これまで書いてきた日記というとそんなものかな。身バレしたらどうしよう(ネットリテラシーが高い)。まあもうこれまで関わってきた人に会うことはおそらくないからいいでしょう。
さて、だらだら日記歴を書いてみたはいいが、正直なところ今の生活において書きたいことがない。が、二次創作も隠居状態のため、アウトプットをしなさすぎて表現力が衰えている気がしてならない。そもそも今の生活を書きたいことがない状態と認識しているのもまずくないか?別に人生困らんだろうと思うが、感受性の低下などという要因で加齢を感じたくないのである。映画とか漫画の感想をしっかり書けたらいいかな、とりあえずは。