毎日睡眠と甘いものを求めて働き、布団に倒れ込めばすぐに眠りにつけるのだが、思うような愛おしい睡眠は叶わず、sleep meisterを見てつい溜息が出る浅い眠りが繰り返されているようだった。夢の中でも仕事している。アラームのお気に入りの曲に対しても「(先輩に頼まれた)これが終わったら行きます」と思ったことを覚えている。
夢の中でも仕事をしているからか、現実での仕事もマニュアルを手放しつつそれなりにこなせるようになってきた。とにかくその日中にやらなければならないルーティーンワークが多いが、定時をちょっと過ぎた頃にわたしの分は終えられるようになってきた。先週までは定時過ぎて1〜2時間かかることだった。
いつも「何かできることありますか」と貪欲な姿勢を見せ、「早く帰りテェ〜寝テェ〜」という内心を放り投げて、書類のホチキス留めや押印などの溜まった雑務を時間外にしている。今週はその雑務にも慣れてきて平均20時には帰れるようになった。
◯
金曜日は19時半前に退勤できた。クタクタだった。
父は22時頃に帰宅した。父が経営者で忙しい人であることは以前も話したが、わたしが帰宅した父におやすみを告げる際「入社早々残業、3週間もこなしていてあと一ヶ月で終わるらしいのだけど、想像できない」と溢すと、「仕事なんてそんなもん、お父さんなんて毎日これ(休みなし、退勤遅い、仕事のために生きているみたいな)だから」と返された。モヤった。
退勤するときも、先週は21時とかまで残業していたから物足りなさみたいな、申し訳なさみたいなものがあった。普通に考えて五日間働ききったのえらいよな〜という話ではあるのだけど、どうして人の苦労と比べてわたしは人より苦労しなければならないと思い込んでいるのだろう、昨年一年もこんなに苦しんだと言うのに、自分の首を絞めることに少し快感を覚えてしまうところがある、いまだに。
明らかに間違っていると思う。
多分「あなたは充分頑張っているよ、えらいよ、(あわよくば、そんなに頑張らなくても愛しているよ)」と言われたいのだと思う。満たされなさ、だ。
◯
4月26日が母の誕生日で、毎年夕飯を外食したことを思い出した。昨年は母の意識が薄れてきたときでお祝いできなかったことも思い出した。今年も祝えないこと、普通の宅配の夕食であったことに涙が出た。
最近ずっとわたしという鏡が母ばかりを映していたためにわたしという人格が母の人格にそっくりになってきていることに気づき、母を恨んでいた、が、いざ不在という事実を前にすると泉みたいに涙がこんこんと湧き出てくる。いまだに。
誕生日の母のことを想って眠ったからか、久しぶりにその朝の夢に母が出てきて、目が覚めて泣いた。
◯
受験期にも思ったことだが夢は日々の思考にきちんと基づいている、いや、自己暗示なのだろうけど。
本当はもっと愛おしい朝を迎えたい、波季さんが話していた名前のことを考えて、わたしは毎日、どこかで誰かにかいりちゃんと呼ばれることを願って止まないのだと自覚した。「かいり」と呼んでくれるひとはきっとみんなわたしのこと好きなひとたちだ、だからわたしは「かいり」と呼ばれることが好きなのだと思う。その人たちに毎日会いたくて仕方がないのだが想いを馳せる余裕がない、もっと近くにいてほしいと、
ただ現実的ではなくて、あと最近父に「身の丈にあった」というはなしをされて、でも遠出しないと会えない好きな人に会うことって身の丈に合わないってことですか
わたしはそうは思えなくて、行きたいところがあるんだ という口実を絶やさないために常に行きたい所を探している。行きたい所なんてあんまりないかも、ただ会いたいだけで
◯
そんなことを想って眠った、朝、今日はゆっくりでよかったし、いつもより気持ちよく朝を迎えられた、今から向かうよ